興國高校サッカー部 インターハイ初出場への軌跡(六車拓也監督)

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2024年07月24日 11:21  サッカーキング

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創部以来初となるインターハイ初出場をつかんだ興國高校サッカー部[写真]=興國高校
間もなく開幕する令和6年度全国高校総体(インターハイ)。激戦区の大阪府からは、初出場の興國高校(第1代表)、3大会ぶり6度目の出場となる阪南大学高校(第2代表)が駒を進めている。
興國高校は個の育成に定評があり、日本代表で活躍するFW古橋亨梧(セルティック)をはじめプロ選手を毎年のように輩出している強豪校。冬の選手権では令和元年度に全国大会出場を果たしているが、意外にもインターハイ出場は今回が初めてだ。
昨年のインターハイ予選後に監督に就任し、わずか1年で創部以来初のインターハイ出場、大阪予選優勝と新たな歴史を切り拓いた六車拓也監督が、インターハイまでの軌跡を語った。
【1回戦〜準々決勝】順風満帆ではなかった序盤の戦い


 今回の予選は劇的な展開が多く、言葉では説明できない、何か不思議な力が働いている感じでした。「いつもならゴールに入っているのに……」というシーンがあったかと思えば、終了間際に奇跡のような勝ち方をしたり。これが応援の力なのだなと心が震える場面が数多くありました。

 リーグ戦(プリンスリーグ関西1部)5勝1分けと無敗のまま大阪予選に臨んだので、周囲からは順風満帆に見られていたと思います。でも実際は、予選直前の京都サンガF.C.U−18戦はチームに慢心が見て取れ、思ったようなゲームができずに引き分け(1−1)。大阪予選も1回戦(4−0茨木高校)、2回戦(1−0常翔学園)と勝ち進んだものの全体的に消極的で、内容はまったく良くありませんでした。

 あとから考えれば、選手には相当なプレッシャーがかかっていたのでしょう。「負けたくない」、「勝たなアカン」。インターハイへの想いが強すぎて、日々大切にしてきたはずのチャレンジ精神が薄れてしまっていました。

 次(準々決勝)の相手は前年の優勝校でもある強豪・金光大阪。このままでは自分たちらしさを出せないまま終わってしまうと考え、選手たちと話し合いました。

 何のためにサッカーをしてきたのか? 一番大事なことは? 目の前の勝ち負け? 自らの成長?

「勝敗ではなくチャレンジすることに100パーセント集中しよう」。そう確認し合ったことで吹っ切れたようです。とはいえ、金光大阪戦に向けたチームの不安は小さくなかったと思います。それまで思うようなサッカーができていない中、ケガの影響などでスタメンの顔ぶれが6人代わり、中にはリーグ戦にも出ていない新しい選手もいましたから。

 しかし、いざ試合が始まると、選手たちは腹をくくってのびのびと、難しい展開ながら“らしい”戦いをしてくれました。
この試合は延長戦の末に勝った(1−0)のですが、実は私は決勝点を見ていません。序盤から膠着状態が続き、延長後半に入っても拮抗したまま。これはPK戦までいくなとキッカーの順番を考えていたら、突然「うおぉーーー!」と大きな歓声が上がって……勝利の瞬間を見逃していました(笑)。
【準決勝】生徒と先生が抱き合い喜ぶ姿に感動


 続く準決勝(関西大学第一高校戦)も、延長まで戦う接戦でした。1−1から延長の2得点で3−1と逆転勝ちでインターハイ出場をつかみましたが、主導権を握りながら70分(35分ハーフ)で決着をつけられなかったため、正直、頭の中は翌日の決勝のことでいっぱい……。みんなでスタンドへ挨拶に行っても、自分だけすぐベンチに引き返し、作戦盤を前に「明日のメンバー、どうしよう?」と。

 ああでもないこうでもないと悩んでいると選手たちの呼ぶ声がして、慌てて戻って水かけ(ウォーターシャワー)の輪に入る――という状況でした。

 そんな中でも、インターハイ出場が決まった瞬間は、選手や長年関わってきたスタッフ、関係者の皆さんの涙に胸が熱くなりました。だって、生徒と先生が抱き合って喜ぶなんてこと、そうないでしょう? さまざまに携わる人たちがどれほどの想いでこの大会に臨んできたのか。それが目の前で形として見えたとき、本当に素晴らしいことを成し遂げたのだなと感慨深いものがありました。
【決勝】9人入れ替えても優勝、勝因は厚い選手層


 準決勝を70分で終えていれば多少のメンバー変更で臨むつもりでしたが、延長90分までいってしまった。翌日すぐ決勝(阪南大学高校戦)という非常にタフな日程だったので、90分プレーした選手をスタートから出すプランは当初からありませんでした。しかしそうなると、コンディションを含めその時点でのベストメンバーを急ぎ決断しなければならない。メディカルスタッフとも相談して、結局、準決勝から9人を入れ替えることに決めました。

 インターハイ出場が決まったからメンバーを落としたわけではありません。まず考えたのは、連戦で選手にケガをさせてはいけないということ。このチームはそれまで、90分戦った翌日に試合をしたことがありませんでした。おそらく、頭では動けているつもりでも、身体がついてこなかったでしょう。

 そしてもう一つ、出場機会に恵まれずとも常に自分に矢印を向け頑張ってきた選手をどこかで起用したいと考えていたこと。日々競い、高め合ってきた選手たちですから、私としては自信を持ってピッチに送り出せる、どんな結果になっても納得できるメンバー。「ここや!」と思い決断しました。

 ちなみに、今回の予選では約60名の選手がトップチームに携わり、うち32名が出場しています。一般的には多くても15〜16名と聞きます。その倍近い選手を起用することができたのは、いつも激しいチーム内競争をしている選手たちの頑張り、そしてトップのA以外のチームを指導するスタッフ陣のおかげ。個々が成長し、選手層が厚くなっている証拠です。

 サッカー部には現在289人の部員がいます。全国的に見てもかなりの大所帯で、Aチームに関わるのはそのうち数十人だけ。普段はレベルや年齢に応じ9カテゴリー(A・B・C・D・E・F・U16−A・U16−B・U16−C)に分かれて活動していますが、所属に関わらずみんなサッカーが大好き。その真摯な姿勢は私たちスタッフが驚かされるほどです。

 競争する楽しさ、自らをアップデートする楽しさを一人でも多くの選手に感じてほしいと考え、この1年でCチームからもAチームに上がれる環境を作りました。選手たちは常に激しいポジション争いを繰り広げ、A・B・Cチームを行き来しています。

 今回の予選に出場したある選手は、入学時U−16Bからスタートし、2年生でD、Cとステップアップして3年でBチームへ。さらに予選前にAチームに昇格、定着しました。そうした選手の出現はチームに大きな刺激をもたらし、活性化につながっています。
「どうしても出場したい」直訴に見た選手の成長


 決勝を前にもう一つ、チームの成長を感じた出来事があります。それは夜にスターティングメンバーを発表したあとのこと。一部の選手たちから「納得できない」という声が上がりました。サッカー選手ですから、自分がピッチに立ちたい、優勝させたいと考えるのは当然でしょう。ただ、そうした直訴は、1年前、自分が監督に就任した当初のチームではあり得なかった。「監督が決めたことだから」とすんなり受け入れたはずです。

 1年前の選手たちは、私たちスタッフが発信したことを謙虚に受け止め、とにかく愚直にやる傾向がありました。指示に対して素直で従順。指導しやすいものの、一方ではもっと主体性を持ち、時には我を出してほしいと物足りなさがあった。真面目に一生懸命やっているけれど、本気の限界は知らないのでは? とも感じていた。

「この選手たちならもっとできる」。それでこの1年はまず、選手自身が選択・思考・決断する機会を数多く作り、スタッフは見守ったり寄り添うことに徹してきました。指導者が答えを教えてしまったほうが手っ取り早いのですが、それでは本当の力にならない。選手の目に見えていることを優先し、考える力、やる力を信じ、自ら答えを出すのを待った。

 とはいえ、放任になってしまわないようアプローチはしてきたつもりです。最初の頃は「それでいいのか?」、「どうする?」と問いかけると「分かんないっす」と返ってきたりして……。それでも、考え方を整理させたり視野を広げることに粘り強く注力しているうちに、徐々に選手自ら決断できるようになりました。今は新しいアイデアがどんどん生まれ、競争を楽しむ力も備わっている。日々の取り組みがプレーや試合にダイレクトに反映される楽しさを理解したのでしょう。

 そんな選手たちが、「どうしても出場したい」と直訴してきた。よく言ってきてくれたなと、これは本当にうれしかったですね。選手代表を通じて選考理由を説明し、今回選んだメンバーが自分の考える現時点のベストであること、これまで出たい気持ちを抑えて応援・サポートに回ってくれてきた彼らに同じことをしてやってほしいと伝えたところ、二つ返事で「ハイ!」、「そういうことなら今回は自分たちが、いつもしてもらっている倍以上のサポートをします」と。そうして実際、前日はピッチに立っていたメンバーが、スタンドから声を枯らして応援をし、非常にいい雰囲気を作り盛り立ててくれた。

 選手一人ひとりが、そのとき自分にできる役割を理解し、全力で果たす。いい選手、いいチームになったなと喜びがこみ上げてきました。


インターハイは通過点、チャレンジ精神で人間的成長を
 インターハイ出場を決めて以来、本当にたくさんの方からご声援をいただいています。

 もともと学校全体に部活動を応援する空気感、生徒が頑張れる環境があり、恵まれていることは感じていましたが、優勝報告会やスポンサーさんへの表敬訪問などを通じて改めて「興國ファミリー」の力を実感しています。

 勝利や優勝はそうした方々への大きな恩返しになると思いますが、大舞台を経て、選手として、人間としてたくましく成長して大阪に帰ってくることもまた、皆さんへの素晴らしい、一つの恩返しの形だと考えています。選手たちには、インターハイだから特別ではなく、これまでどおりサッカーを全力で楽しみ、チャレンジし続けてくれるよう願っています。

 目標に向かって本気で取り組むことや自らの成長を楽しむことをサッカーを通じて体感し、その経験を人生を豊かにするためのツールとしてほしい。興國で共にサッカーに打ち込んだ記憶は、これから彼らが人生を歩んでいく中で、苦しいとき、つらいときにきっと心の支えになってくれるでしょう。

取材・文=根本いづみ

【監督プロフィール】
興國高等学校サッカー部監督
六車 拓也(むぐるま たくや)

1984年6月13日生まれ、京都府出身
JFA公認A級コーチジェネラル
中高時代を京都パープルサンガ(当時)のアカデミーで過ごし、U−16〜U−19まで各年代の日本代表に選出。2003年トップチーム昇格(U−21日本代表選出)。その後アルビレックス新潟(2006〜07年)、徳島ヴォルティス(2008〜11年)でプレー。現役引退後はセレッソ大阪で指導者の道へと進み、2012年よりスクールコーチ、U−12、U−18コーチなどを歴任。2012年から2年間は派遣コーチとして興國高校サッカー部の指導にも携わっており、当時の教え子に日本代表FW古橋亨梧、元Jリーガーで現Dチーム監督の北谷史孝氏など。2023年2月1日、約10年ぶりに興國高校サッカー部のコーチに就任。6月12日に監督就任の打診を受け、翌13日に選手たちに就任挨拶をした(誕生日なのでよく覚えている)。

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