立花もも 新刊レビュー 昭和最大の謎に迫る長編、“今どき”ではない謎解き……サスペンス・ミステリー4選

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2024年09月01日 12:20  リアルサウンド

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五条紀夫『私はチクワに殺されます』(双葉文庫)

 発売されたばかりの新刊小説の中から、ライターの立花ももがおすすめの作品を紹介する本企画。数多く出版されている新刊の中から厳選し、今読むべき注目作品を紹介します。(編集部)


五条紀夫『私はチクワに殺されます』(双葉文庫)

  東京練馬区の借家で首を吊って死んでいた男と、別室で数十か所を刺されて死んでいた妻。普通に考えれば、何らかの揉め事が起きて男が妻を刺し殺したということだろうが、部屋のあちこちに数千本、いや数万本のチクワが散乱していて、腐敗臭を放っている。そして〈私はチクワに殺されます〉という一文から始まる男の手記。隠語でも暗号でもなく、正真正銘、食べるあのチクワ。手足がはえて襲い掛かってくるわけでも、口の中に毒入りを押し込められるわけでもない。ただ、チクワの穴を覗き見るとその向こうにいる人の死ぬ姿が見えて、それからまもなく、そのとおりの姿で命を落としてしまうのだという。


……いや、うん、よくわからんな! とツッコミを入れつつ、文章の迫力におされて読み進めてしまうのだ。それが真実なら、チクワのあるところ死体ありといった感じで、全国各地で人が死んでしまうではないか。世界の真理に気づいてしまったその男(首吊り)も、同じことを考えた。だから、チクワを覗いたことによって人を死なせてしまった罪悪感を抱えながらスーパーでチクワの番人となり誰にも買わせないよう務めを果たし始めるのである。


  言っておくが、ギャグではない。純然たる狂気だ。どう考えてもこの男の精神が壊れてしまっていて、妄想を読まされているだけなのだと思うのに、もしかしたら本当にそういうことはあるのかもしれない、と思わされもする。そして数々の悲惨な死をまのあたりにしたあと、みずから首を吊った男の娘の独白によって、物語はさらに二転三転と真実の姿を変えていく……。


  笑えるのに、怖い。そして、あらすじを聞くとばかばかしいのに、ミステリとして非常に巧みな小説でもある。読み終えたあとはチクワを食べたくなるし、覗きたくもなる。でもその穴の先で本当に誰かが死んでしまったらどうしよう、と思うとおそろしくて、ちょっとひるんでしまう。



荻原浩『笑う森』(KADOKAWA)

  5月刊行作品なので、新刊というのにはちょっと古いのだけど、最近読み返してしみじみよい……と思ったので改めて紹介することにする(あと、もっともっと話題になっていいと思う!)。


  樹海で行方不明になった5歳の真人。1週間たってようやく見つかった彼は、衰弱していたものの命に別状はなく、本人のものではないどころか、あきらかに大人の赤いマフラーを巻き付けているなど、誰かと会ったような痕跡があるのに、名乗り出るものは一人もない。ASD児で、同年代にくらべて話すことが得意でない真人は、ただ「クマさんが助けてくれた」というだけ。いったい樹海で何があったのか? 助けてくれる人があったならば、なぜすぐに通報し、樹海から連れ出してくれなかったのか?


  名乗り出るわけにはいかない、しかし幼い子供を見捨てることもできない大人たちがいかなる事情を抱えて樹海に足を運び、そして真人と出会ったのか。その出会いが何をもたらしたのか、現在と過去の描写が交互に織りなされるうち明かされていく。これがただの謎解きにとどまらず、発見後の真人が口にするようになっていた奇妙な言葉の意味や、失踪前では考えられなかった行動をとるようになった理由もまた、同時に描かれていき、幼い子どもの冒険譚としての像が浮かびあがっていくさまも見事なのである。


  その事実を解き明かしていくのは、真人のおじ(父の弟)にあたる保育士の青年・冬馬だが、シングルマザーである真人の母・岬に対する誹謗中傷を訴えるべく、現実で彼らが戦う姿もまた同時進行で描かれていくのもよい。「えっ、おまえだったのかよ!」という驚きと、「なんだその勝手な理屈は!」という怒りが芽生えるだけでなく、つい彼らに心を寄せそうになってしまう瞬間がちらほら描かれるのもまた、荻原節。


 「クマ」の正体が明かされたとき、そして冬馬の想像にすぎないけれど、真人がどんなふうにひとりで樹海を生き抜いたかを想像するとき、胸がぎゅっと締めつけられる。こんなにもあたたかくて切ない小説を久しぶりに読んだ。繰り返しになるが、もっともっと話題になっていいと思う!



谷津矢車『二月二十六日のサクリファイス』(PHP出版)

  昭和11年2月26日。陸軍の青年将校が約1500人の兵を動かし、首相官邸などを襲撃して帝都東京を占拠。大蔵大臣だった高橋是清をはじめ3人を死に至らしめたものの、未遂におわったクーデター、二・二六事件が本作の主題。昭和史最大の謎といわれるこの事件がなぜ起きたのか、事前ではなく事後のとりしらべによって明らかにしようとするものである。


  が、蹶起(けっき)した青年将校とつながりが深いとされて投獄された、重要容疑者の大尉・山口一太郎は事件の物々しさに比べて、やけに軽い。山口の取り調べを担当することになった憲兵の林逸平に対しても、製図するための道具や白衣を差し入れせよ、そろわなければ取り調べに応じぬと強気の態度。山口の義父にそれなりの地位があるとはいえ、とらわれた人のとる態度ではない。戸惑いながらも調べを進め、関係者に話を聞くうち、根っから型破りで「こうあるべき」に準じる性格ではないということもわかってくるのだが、そうなると不思議なのが、群れるたちでもなさそうな彼がどうしてクーデターに関与したのかということである。そうして、山口の真意に迫るうちに逸平もまた、軍人としての己のありようを見つめ直すようになっていく……。


  現代を生きる私たちにとっては、山口の主張のほうがむしろなじみやすく、軍部の体質は古臭く「だめ」なものに感じられる。けれどその時代を生きる人たちにとっては、理不尽であろうと合理性がなかろうと、それが正義だったのだ。いや、正義と信じるべきものであった。それを断罪するのは簡単だけど、こうした歴史モノを読むにつけ思う。自分がその時代に生きていたら、果たしてどんなふるまいをしていただろう、と。


  二・二六事件の“真の犠牲(サクリファイス)”は誰だったのか。帯に書かれたその言葉の意味を考えるとともに、現代を生きる私たちが誰かを犠牲にしている可能性についても、想いを馳せる。



永嶋恵美『檜垣澤家の炎上』(新潮文庫)

  こういう小説を読みたかった! と本を開いて数ページで快哉をあげた。いまどきの、いきなり謎がぶちかまされて、テンポよく展開していくミステリーとはちがう。明治維新後の横浜で知らないものはいない富豪・檜垣澤家の人々の関係性をつかむだけで時間がかかってしまうし、母亡きあと、妾の子として引き取られた幼いかな子がいったい、物語でどういう役割を果たすのかも、しばらくはわからない。ただ不穏な気配の漂う、かな子にとっては決して居心地のいいとはいえない屋敷のなかでの人間模様が淡々とつづられていくだけだ。でも、それがいい。そして実はその、丁寧で細やかな、一見物語とは関係のなさそうな描写のなかにも、ラストに繋がるヒントが隠されているということは、最後まで読めばわかるのだから。


  檜垣澤家は、かな子の父親が当主だったが、生前から本妻に当たるスヱがとりしきっていた。スヱの長女・花の婿が当主だったけれど、火事で謎の死を遂げ、花の長女・郁乃の婿が当主となるが、そもそも男たちはお飾りで、権力を握るのは女たち。とはいえ、かな子に権力などあるはずもなく、使用人たちにも疎まれながら、自分の立場を悪くしないよう上手に立ち回ることが目下の使命であった。おかげで如才なくふるまうことに長けた、良くも悪くも腹に一物もつ少女に育ったかな子は、やがて自分も檜垣澤家で相応の地位を得たいと思うようになる。その野心を胸に、血なまぐさい事件にまきこまれながらも、何十手先も読むスヱとわたりあっていくかな子の成長が読みどころの一つ。


  花の婿がなぜ死んだのか、殺されたのではないかと疑う元女中の登場によってきなくさくなる屋敷の事情。スヱの策謀によって引き合わされた生涯唯一の友とのシスターフッド。あれもこれもてんこもりで、読みどころをあげていったらキリがないのだけれど、個人的には謎多き書生・西原とかな子との関係にずっと萌えていた。二人の立場的にも性格的にも、そして物語のテイスト的にも、メロドラマに発展するとは思えない。むしろかな子はずっと彼を怪しみながら、腐れ縁を続けていくのだが、安易に恋にならないからこそ、ときめいた。


  学生時代、夢中になって小説を読んだ喜びを、久しぶりに取り戻させてくれた一作である。



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