江川卓はなぜプロ野球で絶滅危惧種となった「ヒールアップ」で投げていたのか 大矢明彦が明かす投球フォームの秘密

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2024年09月06日 17:21  webスポルティーバ

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連載 怪物・江川卓伝〜大矢明彦が解説する脅威の投球メカニズム(前編)
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 大矢明彦といえば、入団1年目からマスクを被り、1978年にヤクルトが創立29年目にして初の日本一となった時の正捕手であり、70年代のセ・リーグを代表するキャッチャーのひとりである。

 そんな大矢が全国的に有名になったのは、78年の日本一よりも79年に刊行された4コマ漫画『がんばれ‼︎タブチくん‼︎』(いしいひさいち作)。映画化もされ、シリーズ第3弾まで公開された大人気の野球ギャグ漫画である。

 そのなかの名場面のひとつに、三頭身のヤスダ投手(安田猛がモデル)が「オーヤくん、オーヤくん」と言いながら、魔球を開発したから見てくれというかけ合いがある。最終的にヤスダがヘンテコな魔球もどきのインチキ球ばかり投げるため、オーヤは怒り出す。コミカルなヤスダが「オーヤくん、オーヤくん」と呼ぶ声を、当時の子どもたちはよく真似していたものだ。

「『がんばれ‼︎タブチくん‼︎』のことはよく言われました(笑)」

 見るからに、人柄のよさがにじみ出ている大矢は、朗らかな笑顔で言う。

 当時のプロ野球のキャッチャーといえば、野村克也や森祇晶に代表されるようにずんぐりむっくりの体型が多かった。それが細身で俊敏な動きをし、さらに端正な顔立ちの大矢が一軍の舞台で活躍することで、それまでの捕手像を一変させた。

【握りで球種がわかった】

 江川卓が入団した79年は、ヤクルトが日本一になった翌年であり、選手たちは連覇を目指してキャンプから励んでいた。しかしシーズンに入ると、前年の疲れが抜けきれないのか、投打のバランスが噛み合わずに開幕8連敗という不名誉な記録をつくるなど、最下位に沈んだ。

 そんな屈辱のシーズンを過ごした大矢だが、ルーキーの江川に対してどんな印象を持っていたのか。

「江川はね、正直好きだったんですよ。握りで球種がわかったので。最初の頃の対戦打率はよかったはずですよ。もちろん握りで球種がわかっていたといっても、やっぱり球が速かったので凡打もありましたけどね」

 ボールの握りで真っすぐかカーブかわかったという大矢は、江川をお得意様にしていた。

「江川といえば高めのストレート。僕は狙って打っていたので、その球には手を出さなかったけど、打者心理として真っすぐに的を絞っていると、多少高くても手が出ますよね。打者としては打てると判断して振るんだけど、球は速いし、思っている以上に高い。だから空振りしたり、凡フライになったりするんです」

 キャッチャーゆえに、相手ピッチャーの配球を読んで打席に立つのかを尋ねてみた。

「わからないピッチャーの場合は、配球を読んで打つことはありました。それに何度対戦しても癖が全然わからない人もいますし。ただ、僕は攻め方がどうこうよりも、投げ方ですね。サイドスローは嫌でした。巨人から阪神に行った小林繁は苦手だったね。あと、体に巻きつくように曲がってくるシュートの平松政次も嫌いだったな」

 データがほとんどないピッチャーの場合、捕手目線で配球を読んで打っていたと語る大矢だが、そもそもプロ2年目の時に監督に就任した三原脩から「打たなくてもいいから守りをしっかりやってくれ」と言われたことで気がラクになった反面、バッティングへの意識が少し弱くなってしまったという。

「三原さんから『キャッチャーは打たないでいいから、ピッチャーが気持ちよく投げられるように考えろ』とずっと言われました。とにかく守りを一生懸命やれということで気遣ってくれて言ってくれたんだと思うけど、そう言われると別に打てなくてもいいと思っちゃうんですよね。でも、やっぱりそれではダメだなって。だから指導者になった時、絶対に『打たなくてもいい』とは言わないと誓いました」

 そう考えるようになってからは、バッティングにも意識を傾けるようになった。

「三原さんがよく言っていたんですが、『ここぞって時に打てばいい』と。1日1本、大事な場面で打てるような勝負強いバッターっていうか、4打数1安打、打率2割5分で上等って思っていましたね。4打数1安打でいいとなれば、ヤマを張れるでしょ。今日一番、ここで打たなきゃいけないって時に、それまでの対戦でどう攻めてきていたのかと。そこから『このボールを狙っていこう』とか、割り切って打席に立てましたね」

 優勝した78年から80年の大矢の打率は、2割6分8厘、2割7分1厘、2割8分3厘と、守備の要のキャッチャーとしては上々の成績を残した。

【江川卓の投球フォーム】

 江川のフォームの特徴として、投球の際に軸足の踵を上げるヒールアップがある。江川を筆頭に、西崎幸広、阿波野秀幸、伊良部秀輝など、速球派の投手に多かった。しかし、今のプロ野球においてヒールアップをする投手といえば、巨人の大勢ぐらいだろうか。

「プレートの踏み方もあると思うんですよ。今はプレートの上に足を乗せないで、軸足の側面だけつけている投手がけっこう多い。ヒールアップもひとつのタイミングなので、足を上げることでリズムがよくなるならそれでいいと思うんです。でもヒールアップすると、目線が上下してコントロールが悪くなるケースが多い。だから、なるべくしないほうがいいんじゃないかってなる。

 ただ、今までヒールアップで投げていたピッチャーからすると、物足りないと思うんですよ。踵を上げることで力を最大限に溜めて投げていたのに、それがなくなるわけですから。もちろん、一概にヒールアップがダメなわけではありません。いずれにせよ、ピッチャーが独自のタイミングで投げるのが一番いいわけですから。だから江川にしても、あの投げ方が自分にとってはベストだったわけです」

 踵を上げることで体重移動がスムーズになり、腕の振りも加速するから球速も上がる。ただヒールアップはバランスを崩しやすく、そのためには強靭な下半身、柔軟性が必要となる。

 今のプロ野球にヒールアップする投手が少ないのは、負荷によるトレーニングが主流となっているため、筋肉が硬く、ケガのリスクが高いからだと言われている。

 そう考えると、江川は強靭な下半身に加え、上半身は弾力性のある筋肉で覆われ、肩関節も柔らかい。だから平然とヒールアップして、体重移動の際に運動エネルギーを最大限に爆発させるがごとくボールに伝え、バッターが慄(おのの)くほどの威力を生む。これが江川卓である。

(文中敬称略)

後編につづく>>


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

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