私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第28回
サプライズ選出された男が見た「史上最強」と呼ばれた代表の実態(2)
(1)ドイツW杯にサプライズ選出された巻誠一郎の困惑>>
2006年ドイツW杯初戦のオーストラリア戦、日本は前半26分に先制し、試合を優位に進めていた。だが後半、相手のロングボールを主体とした攻撃と猛烈な暑さによって、日本の選手たちは徐々に体力を奪われ、押し込まれる展開になった。
ベンチから見守っていた巻誠一郎は、ピッチ内に漂う危うい空気を感じていた。
「ものすごく暑かったですし、みんなの体力が消耗して、足が止まっていくのがベンチから見ていてもわかりました。一方、オーストラリアは攻勢を強めていたので、こういう時に自分が出たら、みんなにエネルギーを与えられるし、攻守に活躍できるのになぁって思っていました。
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もしかしたら、そういう役割で出番があるのかなぁと思っていたんですけど、自分にチャンスが与えられるような雰囲気はまったくなかったです」
巻のプレースタイルは、攻撃の際には前線の起点やターゲットになり、守備ではファーストチャージはもちろん、相手に激しくチェックにいくなど、攻守両面において全力で走り回ることだ。つまり、押し込まれた状況で巻が入れば、ボールの出どころを押さえ、容易にロングボールを蹴られることはなかっただろうし、攻撃の際には前線でボールをキープして時間を作れたはずだ。
しかし、"5番手のFW"の巻には、アップの指示さえなく、たたベンチから戦況を見守るしかなかった。
後半39分、日本は攻勢を強めるオーストラリアについにゴールを許してしまった。途中出場のティム・ケーヒルに同点弾を決められると、ピッチ上の選手たちがショックを受けているのがベンチからでも見て取れた。
その後、まるで緊張の糸が切れたかのように、日本は失点を重ねて1−3で初戦を落とした。
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「ショックでしたね。それは、僕だけじゃなく、全員がそう感じていたと思います。(グループリーグで)オーストラリア、クロアチア、ブラジルと3試合があるなか、力関係で言うと、初戦は絶対に勝ち点3を取らないといけなかった。それを逃したことで、残り2試合がより難しくなった。いきなり崖っぷちに立たされてしまった感じでした」
試合後、ロッカールーム内は険悪な雰囲気だった。一部の選手がみんなに聞こえるように不平不満を言い放った。その声に対して、聞こえないふりをする選手もいれば、反応して言い返す選手もいた。
「これは、よくないチームの典型だなって思いました」
翌日、クロアチア戦に向けて主力選手はクールダウンメニュー。控えの選手たちはトレーニングをしたが、チーム内の空気は淀んだままだった。
練習では、紅白戦でサブ組の一部選手が主力組に猛烈なチャージを仕掛けるなどして、「自分らが試合に出たほうが強い」とあからさまに言う選手さえ出てきた。初戦の負けで、チームはバラバラになりかけていた。
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「正直なところ、オーストラリア戦で負けて、というよりも、W杯に向けて海外組がチームに合流して始動した時から、チームの雰囲気が悪いというか、ギクシャクしている感じがあったんです。
W杯という大きな大会の前だし、レギュラー争いもあるので、多少のピリピリは仕方ないなと思っていましたし、(本番前の)ドイツ戦が終わったあとは(このチームは)『試合ではやっぱり強いな』と思っていました。
でも、最初に感じたギクシャクした空気は、その時も拭えず、チームとしてのまとまりはなかった。それが、初戦の負けで一気に表面化した感じでした」
日本代表の指揮官であるジーコは、それでも静観しているだけで何も言わなかった。キャプテンの宮本恒靖の声も、主力組以外の選手には届かなくなっていた。
「僕は、この大会で"初めまして"といった部類の選手だったし、嫌な雰囲気のなかでも一生懸命練習するだけでした。あとは、チームのための雑用をするとか、そのくらいのことしかできなかった。ピッチに入ればがむしゃらにやりますけど、ピッチ外では何か役割を果たすことは無理、というか、自分がコントロールできるようなことは何もなかったです」
2戦目に向けて、ジーコは3バックから4バックにシステムを変更。主力選手のうち最終ラインやボランチの選手は、練習中のピッチ上や食事会場などで戦い方について話し合いを続けていた。巻は、その輪のなかには入れなかった。
「ツネさん(宮本)とか、DF陣を中心とした主力選手たちはよく話をしていたんですけど、僕はFWだし、しかも5番手。後ろの選手にはまったく関わることがなくて、そういう会話にも入れない状況で、完全に蚊帳の外でした」
チーム内で何がどう進んでいるのか、巻はまったくわからなかった。ただそれでも、腐ることはなかった。試合に出る準備だけは怠らずにした。
「やっぱり試合に出たいですし、出るからにはいいプレーをしたいので、淡々と準備をしていました」
ドイツW杯2戦目のクロアチア戦は、ともに負けが許されない状況にあって、互いに慎重にゲームを進めた。結局、それぞれ決定機を生み出すことができず、スコアレスドローとなった。
これで、日本は1分け1敗でグループ最下位となり、最終戦のブラジル戦では2点差以上の勝利を得ない限り、グループリーグ敗退という厳しい状況に追い込まれた。
「0−0のドローは、初戦に勝っていれば悪くない結果だと思うんですけど......。自分たちにとっては、敗戦に近いドローでした」
2002年日韓W杯で決勝トーナメント進出を果たし、その主力の多くが選手として脂に乗った年齢でドイツW杯を迎えた日本代表。それゆえ「史上最強」と称されたが、不甲斐ない戦いを続け、日本のサポーターはストレスをためていた。
結果、練習場に詰めかけたサポーターたちは、選手たちに辛辣な声を浴びせた。シュート練習でミスをすると、「きっちり決めろよ」「外してんじゃねーぞ」とヤジが飛んだ。
「めちゃくちゃやりづらかったですし、普通に嫌だなと思いました。一生懸命やらない選手なんていないですし、いきなりシュートがうまくなるわけじゃないですからね。
W杯は国を挙げて応援してくれていますし、誰もが期待感を持って見てくれていたと思うんです。でも、勝てなければ『W杯って、こんな感じになるの?』『これが、W杯の応援なの』って思っていました」
チームは、主力組とサブ組の一部との関係がますます険悪になっていた。残された試合はブラジル戦のみ。ジーコは基本的にメンバーをいじらない。一部の選手は、このままだと次が最後になるかもしれないという焦りから、余計にいら立ちを隠さなくなっていた。
巻は「試合に出ないまま日本に帰ることになるのかな」と思っていた。しかしブラジル戦の当日、出発前のミーティングに行く直前、部屋に電話がかかってきた。
「巻、ミーティングの前だけど、監督の部屋に来られるか」
それは、スタッフから連絡だった。「直前に何事だろう」と不安気にジーコの部屋に行くと、こう言われた。
「おまえ、今日先発だけど、いけるか?」
巻は大きくうなずき、すぐに部屋に戻った。
「うれしかったですね。1戦目、2戦目は外からしか試合を見られなかったですし、ウォーミングアップもほとんどせずに終わっていた。(交代で)呼ばれる雰囲気もまったくなかったんです。
ブラジル戦も前日までは、全然(試合に)出られそうな雰囲気がなかった。ただ、出たら『何か力になれるだろうな』って思いつつ、自分が入った時のイメージをしながら準備だけはしていました。
そうしたら、ようやく試合に出られるチャンスがきた。しかも、ブラジルと戦える。めちゃくちゃテンションが上がりました」
ミーティングでスタメンが発表されると重たい空気が流れた。2トップを入れ替えたジーコだが、はたしてブラジル相手にどこまで通用するのか。
巻は、所属のジェフユナイテッド千葉で試合に出るときと変わらず、「攻守に全力でプレーする」ことを誓ってピッチに飛び出していった。
(文中敬称略/つづく)
巻誠一郎(まき・せいいちろう)
1980年8月7日生まれ。熊本県出身。大津高、駒澤大を経て、2003年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)入り。イビチャ・オシム監督のもと、着実に力をつけてプロ3年目にはレギュラーの座をつかむ。そして2006年、ドイツW杯の日本代表メンバーに選出される。その後、ロシアのアムカル・ペルミをはじめ、東京ヴェルディ、地元のロアッソ熊本でプレー。2018年に現役を引退した。現在はNPO法人『ユアアクション』の理事長として、復興支援活動に奔走している。