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フリーアナウンサーの小倉智昭(おぐら・ともあき)さんが9日午後、都内の自宅で亡くなった。77歳。1999年(平11)4月から21年3月まで22年間、キャスターを務めた「情報プレゼンター とくダネ!」を放送したフジテレビが、「めざましテレビ」で10日、報じた。
番組で伊藤利尋アナウンサー(52)は「10月にもお宅にお邪魔してお話をして、遊びに来いよと言われたばかり。『めざまし』の後の『とくダネ!』を22年務めました」と悼んだ。
ぼうこうがんで闘病中だった小倉さんは、昨年9月に大量に血尿が出たことで、同11月に左の腎臓の全摘手術を受けていた。その後、ステージ4の腎盂(じんう)がんであることが判明。今年1月に「余命は1年半。3年生きる可能性は8%ない」と宣告を受けたことを明かしていた。
小倉さんは16年5月13日に、司会を務めるフジテレビ系「とくダネ!」内で初期のぼうこうがんであることを公表。同5月17日に手術を行い、同21日に退院、同23日には番組に復帰した。
1週間で番組に復帰したが、筋肉質まで入り込んだ浸潤がんは切除し切れず、医師から全摘を勧められていた。だが、小倉さんは、ぼうこうの温存を希望。免疫療法などを行った。当時、小倉さんは日刊スポーツの取材に「主治医に全摘を勧められました。転移したら手遅れになると言われました」と明かしていた。全摘手術をしなかったのは「クオリティーライフが落ちるのがいや。ぼうこうにパック、ゴルフ場でお風呂に入れないのも。何とか温存する方法を勉強しました。その治療法で転移せず、落ち着いています」と話していた。
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その後、18年夏に激しい出血があり入院して止血手術。ぼうこう炎を併発したことで「全摘しなければいけないのかな」と決意。同年11月5日の放送で公表して、同30日にぼうこうの全摘手術を受けた。19年1月7日には番組に復帰し、21年(令3)3月26日の「とくダネ!」最終回までMCを務めた。
小倉さんは16年の最初のがん宣告をされた際、本紙の取材に「しがみついて生きる生き方はしたくない。頑張って治したい。でも寿命は自分で決められない。だから考えがしっかりしてきた。何年、生きられるか分からないけど、充実した生き方をしたいと考えるようになりました」と話していた。
その後に、最初にぼうこうの全摘を勧められながら、拒んだことを「性機能が低下するので“男としての未練”があって、2年半先延ばしした。それが間違いだった」と明かしていた。
秋田県生まれの小倉さんは、中学で東京の世田谷に転居。陸上部で活躍した。独協大仏語科に入学後も陸上部に入ったが、2年で退部。アナウンサー試験では文化放送は1次選考、フジテレビは最終選考で不合格も、東京12チャンネル(現テレビ東京)の秋募集でテレビ界入りを果たした。76年からはフリーに転身し、TBS系「世界まるごとHOWマッチ」のハイテンションのナレーションが話題になり、ラジオパーソナリティーとしても活躍した。
その後、日本テレビ系「キャッチ」や、フジテレビ系「どうーなってるの?!」などワイドショーの司会を務め、99年からは「とくダネ!」で総合司会を務めた。陸上部出身で、マラソン中継などにもたびたび出演。大の西武ライオンズファンとしても知られた。
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◆小倉智昭(おぐら・ともあき)1947年(昭22)5月25日、秋田県生まれ。独協大卒業後、70年に東京12チャンネル(現テレビ東京)入社。故大橋巨泉さんの勧めで76年にフリーアナに。TBS系クイズ番組「世界まるごとHOWマッチ」の出題を担当し「1秒間に18文字の原稿を読める男」として知られて脚光を浴びる。99年から「情報プレゼンター とくダネ!」キャスター。高校時代は陸上部に所属。趣味はゴルフ。血液型B。
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