モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、2004〜2005年の全日本GT選手権およびスーパーGTを戦った『トヨタMR-S』です。
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全日本GT選手権(JGTC)時代から数えて、今年で30周年を迎えたスーパーGT。その30年の歴史のなかでも特筆すべき驚異的な勝率でGT300クラスのチャンピオンを獲得したマシンがあった。それはつちやエンジニアリングの手がけたトヨタのミッドシップスポーツカー『MR2』だった。
つちやの生み出したMR2は、1998年のJGTCにおいて6戦中5勝をマーク(決勝が中止となった第2戦富士を除く)。圧倒的な勝率でGT300クラスの王座に輝いたのだった。さらに翌1999年も、つちやエンジニアリングのMR2は、GT300のタイトルを獲得し2連覇を達成した。
そして、つちやエンジニアリングは、2000年からGT500クラスへとステップアップ。そのために、つちやのMR2の歴史はここで終焉を迎えた。ただ、この年からMR2の後継モデルがJGTC GT300クラスを戦い始めることになった。それが『トヨタMR-S』だった。
トヨタMR-Sは、1999年に発売されたオープンスポーツカーだ。ミッドシップレイアウトは維持しつつ、オープンボディを採用し、先代のMR2と比較して大幅に軽量化された車体が特徴だった。
MR-Sは、aprの前身であるアペックスレーシングとTRDの共闘体制でマシンが開発され、2000年からJGTC GT300クラスへ参戦。すると3年目となる2002年には、シリーズチャンピオン獲得を果たした。
しかし、この頃からヴィーマックやガライヤといった次世代GT300車両たちが登場し、レースで猛威を奮い始めていた。そのため、MR-Sは2度目の王座獲得にむけ、さらなるポテンシャルアップの必要に迫られていた。
そこで2004年、当時MR-Sを走らせていたaprは、マシンに大規模なモディファイを施した。2004年シーズンのMR-Sは、フロントボンネットがえぐられるなど、全体的にローフォルムな外観が特徴的であった。
そして、なによりも大きく変化していたのは中身の方だった。リヤミッドの3S-GTE型エンジンの搭載方法を市販車同様の横置きから縦置きへと変更。さらにそれに組み合わせるミッションもヒューランド製の縦置きタイプにスイッチした。加えて、前後のサスペンションをダブルウイッシュボーンに改めるなど、より純レーシングカーへと進化を遂げていた。
こうしたモディファイによって、大きくポテンシャルアップしたかに見えたMR-Sだったが、2004年は最高位4位が2回と表彰台圏内でのフィニッシュがないまま、シーズンを終えることとなった。
この結果を受けてaprは、2005年に向けてMR-Sへさらに手を加えた。まず、TRDとの協力で風洞実験を繰り返し、空力全体の徹底的な見直しを図った。リヤの足まわりの設計も一新し、コーナリングスピードをさらに向上させつつ、トラクションを稼ぐことに成功した。
上記に代表される数々の改良が功を奏し、JGTCからスーパーGTとシリーズ名を改めた2005年シーズンのMR-Sは、投入された2台がそれぞれ1勝ずつを記録した。
さらにそのうちの30号車、RECKLESS MR-Sは全戦で入賞したばかりか、シリーズ8戦中6戦で表彰台に登壇する安定感を披露。見事、MR-Sとしては2002年以来3年ぶりのシリーズチャンピオンに輝いたのだった。
MR-Sの進化と活躍は、この2005年で最後とはならず、このあとさらなる輝きを見せることになるのである。