ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は結成から68年以上、「再び被爆者をつくるな」を合言葉に活動してきた。平和賞では被爆証言による核兵器廃絶への取り組みが重視されたが、全国の被爆者による活動は国内外多岐にわたる。
「私たちは自らを救うとともに、体験を通して人類の危機を救おうと決意を誓い合った」。原爆投下から約11年後の1956年8月、日本被団協は「世界への挨拶」を宣言し、結成された。先立つ54年、米国の水爆実験で第五福竜丸が被ばくし、原水爆禁止運動の高まりにも後押しされた。
当時、被爆者を支援する立法や施策は何もなく、国会への請願やデモを繰り返した。
57年、原爆医療法が施行され、被爆者健康手帳交付や医療給付が限定的に始まる。以降も拡充を求めて国会議員や地方議会への働き掛けや厚生省前での座り込みを重ね、68年、各種手当を定めた原爆特別措置法が成立。同法と原爆医療法は後に被爆者援護法に一本化された。
一方、70年代末頃の欧州では、米ソ冷戦を背景に反核運動が高揚。日本被団協も触発され、核軍縮に関わる国際会議に被爆者を派遣するようになった。第2回国連軍縮特別総会(82年)の故・山口仙二代表委員による「ノーモア・ヒバクシャ」の演説は今なお、記憶されている。
被爆40年の85年には、核保有5カ国に赴き、核廃絶を訴えた。2005年からは核拡散防止条約(NPT)再検討会議の開催に合わせ、国連本部で写真パネルなどの「原爆展」を開催している。
17年に採択された核兵器禁止条約も推進。16年から「ヒバクシャ国際署名」を行い、20年末までに1370万筆超を集め、国連に提出した。この際、若い世代と連携しSNSでの情報発信やクラウドファンディング活用など新たな手法も導入。新型コロナウイルスまん延下にはオンライン証言会を実施した。
来年の被爆80年を控え、被爆者の高齢化が著しい中で活動の継続が課題となっている。
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員を務め、1982年の第2回国連軍縮特別総会で演説した故・山口仙二さん(長崎原爆被災者協議会提供)
国連に核兵器禁止条約を推進する「ヒバクシャ国際署名」の署名目録を提出する、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の事務局次長だった藤森俊希さん(右から2人目)=2019年10月、米ニューヨークの国連本部
核兵器禁止条約を推進する「ヒバクシャ国際署名」を呼び掛ける日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳代表委員(左から3人目)ら=2017年9月、東京都渋谷区
米国のバラク・オバマ大統領(当時)と面会した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の坪井直さん(右)。2021年、96歳で死去した=2016年5月、広島市中区の平和記念公園
折り鶴を掲げ原爆症認定基準の見直しを訴える日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の被爆者ら=2007年12月、東京・霞が関