「がんで余命わずかと言われてる態度じゃない」病院で点滴を受ける84歳父の姿に爆笑「往年のマフィア感がすごい」

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2025年02月14日 16:40  まいどなニュース

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癌で余命わずかと言われた父親の態度がXで話題に(「しろちんLv.57」さん提供)

「父84歳
癌で余命わずかと言われてる態度じゃない」

【写真】18歳頃のお父さん…やんちゃさんだったという

がんを患い余命宣告されたというお父さんの写真をX(旧Twitter)に投稿した息子さんの「しろちんLv.57」さん(@shiroshiro79)。そこには、足を組んで椅子にふんぞり返るお父さんの姿が…もしやマフィアのドン!? そんな貫禄ある風貌に「カッコイイ!」「人生こうありたい」とほれてしまう人たちが続出し、話題になりました。

「うちだゆうや」「あ、長生きするタイプだww」

「かっっけぇ…生涯に一片の悔いもなさそう」
「溢れ出る強キャラ感えぐいっす兄貴」
「うちだゆうや」
「あ、長生きするタイプだww」
「服装もオシャレですね」 
「往年のマフィア感がすごい」

多くの人たちの心をわしづかみにしたお父さん。現在がんで闘病中とのことですが、どんな方なのでしょうか? 息子さんに聞きました。

余命宣告は4年前…「あと3年と言われていたので既に過ぎてます」

――お父さんは84歳とのことですが、ガンが発覚した経緯を教えてください。

「余命宣告を受けたのは4年前。当時あと3年と言われていたので既に過ぎてます。他に心臓も悪く病院からは心臓手術もしてくれと言われているのですが、それは頑なに拒否してます。が、つい先日も入院前に病院で体力測定をしたのですが、結果が40代後半の体力値で病院の先生もびっくりしていました。元気なころの父を昔から見てきている息子の私からすると、もともと父は尋常じゃない体力だったので。今現在病に侵されてやっと人並みになってるなと、思ってる次第です」

――余命宣告をされた時のお父さんは。

「私が父からがんの話を聞いたのは本人が宣告を受けてから2カ月ほど経ってからのことでした。私自身ちょうど仕事の関係でバタバタしていたこともあり、話すタイミングを伺っていたのかなと思います。話してる本人は自分のことよりも母のことを一番気遣っておりました。うちの両親はかなりオシドリ夫婦で今現在も母親は生まれ変わってもまたこの人と結婚すると言っていたり、今でも父が他の女性と仲良く話してると本気でヤキモチをやいたり、寝る時も手をつないで寝てるくらいでとても仲良しなので、そんな母を一人残して先立つかもしれないことを一番気にかけておりました」

――宣告後の生活は大きく変わらず?

「そうですね。本人的には相変わらずパワフルで100キロほどある庭の石を素手で移動させたり、家の傷んだ床のフローリングの張替や壁の修復などをちょこちょこやっていたり、昨年も屋根に登って瓦の塗装塗り直しをしたりと全くがんの患者とは思えないくらいの元気ぶりです」

抗がん剤治療を終えて退院後、2週間ほど経って定期健診で肺炎 入院と言われ「すねた」父親

――話題になった投稿写真は病院ですね。

「今回の写真は何度目かの抗がん剤治療を終えた後、退院して2週間ほど経って定期健診のタイミングで病院に行った際のこと。肺炎と診断され、即入院と言われもともと検診だけで帰ろうと思ってた父は、突然また強制的にそのまま入院と言われ、ある意味すねてるところです(笑)。今現在は肺炎の治療も終え、退院して本人的にもちゃんと治していただいてよかったと感謝しております」

――どんなお父さんでしょうか?

「もともと北海道の炭鉱夫で、いろいろご縁があり私が4歳のころ一部上場企業に転職し東京へ引っ越し。後年はその会社の組合委員長として働いておりました。私も学校卒業後、そこの会社で10年ほど勤めていたのですが、父の同僚の話では昔会社の同僚たちで飲み屋で飲んでたところ、反社系の人たちが絡んできて面倒な状態になると、父が一人でその連中を外に連れ出し、場を収めて助かったという話を聞かされたことがあります。また16歳から18歳ころまで日本全国を放浪してたそうで。若い頃はとにかくやんちゃで今の時代だとアウトですが…けんかで負けたことがなかったと聞きます」

――今後も通院をしながらの闘病生活となるそうですね。

「はい。今までも何度か抗がん剤治療で入退院を繰り返してますが、今のところ通院しながらの闘病となる予定です」

――そんな闘病するお父さんへの思いは。

「とにかくどんな困難や高い壁にも弱音を吐くことがなく、自分の事よりも女性や弱者にやさしいところが私の人生にも強く影響しております。私自身、会社経営を20年以上しておりますが、その間、苦境も何度も経験しており、くじけそうになった時には必ず父の姿が頭に浮かび、乗り越え現在に至ってます。病気になった今もなお、勉強させていただくことが多いです」

    ◇  ◇

母親を思う優しい父親、数々の武勇伝エピソードを息子さんに聞いた

闘病中でありながら決して弱音も吐かず、力強く生き抜いているお父さん。息子さんから聞いたお父さんの思い出エピソードをご紹介します。

■父は定年後、田舎暮らしを母と祖母(現在は他界)と3人でしていた時期があるのですが、そこでの庭いじりや近所のスズメバチの巣の駆除をボランティアでやってたりしてたこともあり、スズメバチに10回ほど刺されてその都度大変なことになってるのですが、よく死なないなと家族からは笑い話になっております。

■私が子どものころ、父とキャンプに行った際に手元が狂ってサバイバルナイフが手の甲を貫通したのですが、普通だったら即病院なのですがばんそうこうを貼ってそのままでした。

■田舎暮らしでは父が退職金で買った土地に、ホームセンターで材料買って自力ですべて一からその土地に一人で3軒家を建てました。本当に一人だけですべて建てたんです。浄化槽などスコップで穴ほってそれを持ち上げる滑車を作って埋めたり、電気配線から水回りまですべて一人で。父が「窓枠とか一人でつけるの大変だったよ」と言ってました。3軒のうち1軒は3階建てです。

■そんな家作りで石垣を作るのに1つ100キロほどはある石を100個以上手で運んで積み上げた父(当時もう70歳くらいだったかと)は翌日さすがに手がしびれたようで手に持っていた電気のこぎりでうっかり自分の親指を落としてしまったのですが、その指を持ちながら私に電話「指取れちゃったけどどうしようか?」と。「いや!こっちに電話する前にまず病院行ってくれ」と伝えました。後日、いびつではありますがとりあえず指はつながりましたので良かったです。

■私が生まれる前なのですが父が片腕を怪我して入院してた時にちょうど地区の相撲大会があったようで、エントリーしてた父は病院を抜け出し、片腕包帯巻いて吊ったまま優勝してきたという話があります。それがご縁で隣のベッドに寝ていた上場会社の後に常務となる方と、知り合うことになり気に入られてその後の職に就くことになったそうです。その後、退院直後に柔道の国体予選に出て決勝で手術の傷が開いてしまって負けてしまったとのことです。

■基本的に放任主義で子どものやることに多少の事では全然怒らない父でしたが、一度だけ激怒したことがあります。私の中学生時代、当時わりとやんちゃだった私は何度か警察沙汰に。そのこと自体では特にそれほど怒られたりはしてなかったのですが、ある時そんな私のせいで母が泣いてしまったときに父が今まで見たことのない形相で母親を泣かせたという理由で思いっきりぶっ飛ばされたことがあります。後にも先にも本気で怒られたのはあれが最後です。

他にも色々ありすぎるのでこのくらいに留めさせていただきますが…かなりタフで面白い人です(笑)

(まいどなニュース特約・渡辺 晴子)

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