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古舘寛治(56)が15日、東京・ユーロスペースで行われた主演映画「逃走」(足立正生監督)初日舞台あいさつに登壇した。
「逃走」は、1974年(昭49)から75年に起きた連続企業爆破事件の1つに関与したとして指名手配され、49年もの逃亡の末、24年1月29日に70歳で死亡した桐島聡容疑者(被疑者死亡で不起訴処分)を描いた作品。監督は、22年7月に発生した安倍晋三元首相銃撃事件を起こした、山上徹也被告を題材に描いた映画「REVOLUTION+1」を手がけた、足立監督(85)が務め脚本も手がけた。古舘は主人公の桐島聡、杉田雷麟(22)が若き日の桐島を演じた。
作品の題材が題材だけに、舞台あいさつの冒頭では、統括プロデューサーを務めた配給の太秦の小林三四郎社長が「公安の方、いらっしゃいませか?」と客席に声をかけた。「所轄から問い合わせがあり『ライトウイング(右翼)から何かないか?』と。『私は左でも右でもございません。やっているのは映画です』と返した」と言い、笑った。笑いが起きた客席は、ほぼ満席だった。古舘は「5人くらい、いらっしゃるのかなと思ったら…仰天。すばらしい方が、いらっしゃるものですね」と喜び、杉田も「ドアを開けた瞬間、多くの方がいて、ほぼ満席状態」と感じた手応えを口にした。
足立監督自身、71年にカンヌ映画祭(フランス)からの帰路、故若松孝二監督とパレスチナへ渡り、パレスチナ解放人民戦線のゲリラ隊に加わり共闘しつつ、パレスチナゲリラの日常を描いた「赤軍−PFLP・世界戦争宣言」を撮影・製作。74年には、同作に出演した重信房子氏(79)が最高幹部を務めた日本赤軍に合流し、国際指名手配された経歴を持つ。同監督は「政治と社会、政治と文化を切り離したのは、前作でテーマにした安倍晋三首相から拍車がかかった。政治を若者から切り離し、政治屋の俺たちに任せろと…若者の政治離れが如実に表れている」と、政治的な映画が作られない日本の社会に苦言を呈した。
古舘は「監督のお話があったように、だからこういう作品に俳優も含めて忌避、避ける感じもあって…それは日本的。桐島をやるのに、僕しかいなかった」と口にした。足立監督から「あなたしか、いなかった。みんなが嫌ったからあなたじゃないんだよ」と返されると「失礼しました。僕が勘違いした。まだ、希望はあるかも知れないですけど」と笑みを浮かべた。
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桐島容疑者へのイメージを聞かれると、古舘は「僕は、世代的にも子供の頃から手配写真は見ていたんだろうけど、把握していなかった。ニュースを見た時、興味を持ったのは覚えている。普段、聞いているニュースとは異質だった」と語った。杉田は「指名手配写真は見たことがあって。こんな笑っている人が、爆弾を作っているんだ、すごいなと。まさか自分が、あのように笑って映画に乗っかるとは思っていなかった」と口にした。
桐島を古舘、若き日の桐島を杉田というキャスティングをした理由を聞かれ、足立監督は「特殊メークを施し、20代から演じることを提案したら、古舘さんは『無理でしょう』と。断ってくれたから、杉田君とやる。2人で最低限の立ち居振る舞い、メガネの扱い方と言ったクセは統一した方が良いと打ち合わせしたところから、僕は関わらなかった」と振り返った。古舘は「衣装合わせは同じ時間でやったので、立ち居振る舞いは似せようかなと話し合いました」、杉田は「顔の隠し方、メガネの上げ方は統一したようになっていたと思う」と役作りを振り替えた。
足立監督は、映画監督第6作目にして初めてリアリズムを追求し、自らの半生と重ね合わせて製作した。桐島容疑者が死亡の直前に、担当医師に本名である「桐島聡」として死にたいと語った部分に、自らの解釈を加えたと語った。「彼は逃げることを戦い、任務とし、贖罪(しょくざい)を込めていた、というのが私の認識。逃げることによって、殺されたり死んだり、まだ逃げている人に、まだ闘っているというメッセージをどう送るか、死を媒介にし、本名を名乗ることに全てを託した。彼の戦い方は最後、警察官と追いかけ合うというレベルを超え、自分をさらしてメッセージを出した…と思って作った」と語った。
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