<小倉智昭さん お別れの会>◇17日◇ブルーノート東京
ぼうこうがんのため24年12月9日に77歳で亡くなったフリーアナウンサー小倉智昭さんのお別れの会が17日、東京・港区のブルーノート東京で行われた。
同所は小倉さんが学生時代から通った場所。ステージ中央に掲げられた遺影は23年撮影の、笑顔でベースを手にしたものだった。献花台の周りには小倉さんの多趣味ぶりをうかがわせる品々がところ狭しと並べられた。音楽をこよなく愛したことから、楽器はアコースティックギター5本、エレキギター2本、ベース1本。ユニホーム関係では年間シートを購入するほどファンだった西武ライオンズ松坂大輔やサッカー日本代表、レアル・マドリードなど計4枚。趣味だったゴルフクラブやカメラ、そして五輪取材時のパスなどが並べられた。
弔辞も読んだ寺尾聰(77)はその後取材に応じ、小倉さんとは「そんなに頻繁に会わなかったけど、なぜか気になるヤツだった」と明かした。「10年間会わないとかもあったけど、お互い気になっていた」とし、仕事のフィールドは違ったが「ウマが合った」という。「盛り上がって何かを話すわけでもなく、何となく会って飯を食うとかで、それじゃまた時間ができたら、ってなって。そういう時間が楽しかった」と振り返り、「彼は、僕といて楽だったんじゃないかと思います」と話した。
闘病中の小倉さんには「あえて顔を出しに行くことがなかった」と明かした。「彼は自分と同じような病気を抱える方への励ましから、一切隠さずオープンにしていたので」と説明した。
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そんな2人が77歳の誕生日祝いで食事会を行ったという。「77歳同士。7が並んで、チンジャラジャラで縁起が良いぞって」と当時の会話を明かした。食事会ではプレゼント交換も行ったという。小倉さんからはサングラスをもらい、取材ではそのスポーツサングラスも披露した。「僕は金持ちになれるように財布を送った。もっと、金持ちにさせてやるってね」とし、「そういうたわいもない時間を過ごせたのは楽しかった。最後にお会いできて良かった」と感慨深げに話した。
「一生懸命頑張って趣味を全うしたし、MCは忖度(そんたく)しないで物を言うので反発をくらったこともあったけど、友だちとしては腹が立って、『ばかやろう! 小倉の言う通りだろう』と思っていることがたくさんあった」と述べ、最後に「またな」とさみしそうにつぶやいた。
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