
「省エネルック」は1978年の第2次石油危機(オイルショック)を受け、大平正芳内閣が提唱した省エネ対策の服装で、当時政府がPRしましたが定着には至りませんでした。
その後、羽田孜元総理が着用したことで注目されたため、多くの人が羽田元総理の姿と結びつけて記憶しているのではないでしょうか。
【写真を見る】クールビズの先駆け!? 昭和・平成の「省エネルック」を振り返る(1979年〜)【TBSアーカイブ秘録】
(アーカイブマネジメント部 森 菜採)
省エネルックの始まり1979年(昭和54年)。オイルショックを受け、政府は石油節約の国民運動を推進します。
その一環として、総理官邸で田中元官房長官と江崎元通産大臣による異例の省エネルックファッションショーが開催されました。
大平総理(当時)も省エネルックをお披露目。
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こちらは初の日本開催となるG7サミットを間近に控えた外務省。第2次石油危機への対応が議題とあって働く職員も省エネルックを取り入れ、これは当時としてはかなり軽装で画期的な試みでした。
「平成省エネルック」の代名詞!? 羽田元総理登場1994年(平成6年)に羽田孜氏が総理に就任すると、そのファッションが注目されます。羽田氏が「ニューサマースーツ」と言ってこだわり、愛用していたのが半袖スーツでした。
羽田内閣は1994年4月に発足しその年の6月末に退陣するという短命内閣だったにもかかわらず、総理自ら頻繁に着用したことで人々の目に触れる機会も多く、印象に残る服装となりました。
ただやはり当時のビジネスマナーでは通常のスーツとネクタイが基本の正装とされており、社会に広まることはなく時代の波間に消えていくことになりました。
そして時代はクールビズへ時は流れ、地球温暖化対策の重要性が強く認識されるようになった2005年(平成17年)に環境省が中心となって推進したのが「クールビズ」です。
これは冷房温度を28度に設定した夏のオフィスで涼しく過ごすため、環境省が発表したファッションの愛称で、3200通の一般公募の中から選ばれました。
クールビズの導入は夏季のオフィスにおける服装の自由化を促進し、ネクタイやジャケットの着用を必須としない働き方を普及させる契機となりました。
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ほとんど社会に受け入れられなかった「省エネルック」と徐々に定着していった「クールビズ」。その違いはなんだったのでしょうか。
省エネルックが発表された年、デパートでは半袖スーツ発表会も開催されるなど、政府があの手この手でPRするも残念ながらまったく普及しませんでした。
当時のサラリーマンへのインタビューでは「ファッション性に欠ける」「上司や取引先がネクタイをしているのに、自分だけ軽装でいるわけにはいかない」などの意見が聞かれました。
一方でクールビズは、今年で20周年を迎えます。「ノーネクタイ・ノージャケット」という簡略化されたスタイルから、涼しく効率的でありながら個性を活かしたおしゃれも楽しめる夏の新しいビジネススタイルへと認識が変化しました。
政府主導で推進された省エネルックは「着たくない服を、国に言われて着る」というイメージが先行したのもあり、国民の間に浸透するには至りませんでした。
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一方、地球温暖化対策という目的を持ちながらも、企業文化や働き方の多様性、個人の自主性を尊重するクールビズは社会に広く受け入れられました。
この違いの背景には、トップダウンで画一的な省エネルックに対し、クールビズが社会のニーズや時代の変化に柔軟に対応してきた点があげられそうです。