前回から続く話題だが、映画『探偵〈スルース〉』の影響が垣間見える国産ミステリ小説として、島田荘司『斜め屋敷の犯罪』よりも更に早く発表されたのが、泡坂妻夫の第2長篇『乱れからくり』である。1977年に幻影城ノベルスから刊行され、現在は創元推理文庫の新装版で読める。
調査会社社長の宇内舞子と新入りの部下・勝敏夫は、玩具メーカー「ひまわり工芸」の製作部長・馬割朋浩からある依頼を引き受けるが、朋浩は舞子と敏夫の眼前で奇禍に遭って死亡、やがて馬割一族が彼らの邸宅「ねじ屋敷」で次々と殺害されてゆく……。和洋の玩具やからくりに関するペダントリーで彩られた、絢爛たる本格ミステリ長篇である。
『斜め屋敷の犯罪』と『乱れからくり』には、シュヴァルの理想宮、バイエルン王ルートヴィヒ2世、からくり儀右衛門こと田中久重など、作中で言及される共通の固有名詞が少なからず存在するけれども、『斜め屋敷の犯罪』とは異なり、『乱れからくり』の作中には『探偵〈スルース〉』への言及はない。しかし、『探偵〈スルース〉』にインスパイアされたことを類推させる箇所は複数ある。まず、「ねじ屋敷」の庭園にはイギリスのハンプトン・コート宮殿にあるような生垣の迷路が存在するが、これは『探偵〈スルース〉』のワイク邸にある生垣の迷路を意識したものだろう。また、第3の殺人の直後の「部屋一杯が歯車の音で満たされた。いくつもの時計が刻を知らせ始めたのだ。オルゴールが響き、時計の人形が動き廻った。別の時計の窓が開き、奇怪な獣が顔を出して吠えた」という描写は、『探偵〈スルース〉』のラストを想起させる。なお、1991年に文春文庫から刊行された『ミステリー・サスペンス洋画ベスト150』のアンケートで、泡坂は『探偵〈スルース〉』を10位に推している。
一方、『乱れからくり』が『探偵〈スルース〉』と全く異なるのは「和」の要素だろう。連続殺人の舞台「ねじ屋敷」は五角形の尖塔がある左右非対称の洋館として描かれているが(なお、この小説が1979年に映画化された時と、1982年にドラマ化された時は、「ねじ屋敷」のロケ地はいずれも東京都北区の旧古河庭園の洋館だった)、作中では、江戸時代から昭和に至る日本の玩具やからくりが紹介され、それが本筋の連続殺人にも関わってくる。玩具が零落した武士階級によって作られていたなど、日本史と玩具の思わぬ関連を知ることもできるし、中でも江戸時代の発明家・大野弁吉が加賀の商人・銭屋五兵衛と親交があったという史実は、物語に巧みに採り入れられている。こうした「和」の要素と館ミステリのブレンドは、紋章上絵師を家業とする著者としてはごく自然な着想だったのだろう。
さて、泡坂妻夫の本名は厚川昌男だが、それが阿津川辰海のペンネームの由来のひとつとなっている。今回紹介する阿津川の『紅蓮館の殺人』は、2019年に講談社タイガから刊行された長篇。その後発表された『蒼海館の殺人』、『黄土館の殺人』、そして今後刊行されるであろう第4作と併せて「館四重奏」シリーズと呼ばれている。
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人の嘘がわかってしまう高校生探偵・葛城輝義とその友人・田所信哉が毎回、天変地異による危機的状況のもとで起きた殺人事件の謎を解くシリーズだが、『紅蓮館の殺人』では、落雷による山火事に遭遇した二人が、ミステリ作家・財田雄山の館に避難する。館には隠し通路や部屋ごと移動する巨大エレベーター、吊り天井などのからくり仕掛けが充満しているが、その館内で殺人事件が起きてしまう。
いかに泡坂妻夫にあやかったペンネームの作家だからといって、『紅蓮館の殺人』から『乱れからくり』を連想する読者は少ないかも知れない。実際、『紅蓮館の殺人』の山火事によるクローズドサークル、館の焼失までのタイムリミット・サスペンス……といった緊迫した要素は、『乱れからくり』には存在しない。ミステリとしての構成も、表面上は似ていないように見える。だが、ここでは日本風のからくりという要素に着目してみよう。
神話や伝承をも歴史に含めるとすれば、日本史上最初のからくりによる犯罪計画は、『古事記』に記された、兄宇迦斯(えうかし)による神武天皇殺害未遂だろう。彼は押機(踏むと挟まれて圧死するからくり)を仕掛けた宮殿に神武天皇を誘い入れようとした。建武2年(1335年)には西園寺公宗が、湯殿の脱衣場の床板を踏むと落下し、床下に立てておいた刀に貫かれる仕掛けで後醍醐天皇の暗殺を図ったというが、これも未遂に終わっている。こうしたからくり殺人計画の系譜に、世に言う「宇都宮城釣天井事件」も連なっている。元和8年(1622年)、江戸幕府の重鎮だった宇都宮城主・本多正純がにわかに失脚した事件には、実際は別の原因があったとされるが、俗説では正純が宇都宮城に吊り天井の仕掛けを極秘で作らせて将軍徳川秀忠の暗殺を図ったとされる。
こうして歴史を振り返ると、からくり殺人は一種の日本の伝統と言えなくもないが、『紅蓮館の殺人』では、この吊り天井が殺人に用いられる。「新本格」以降、館ミステリは数多く発表されたが、日本風のからくり仕掛けが出てくる例はさほど多くない。だが『紅蓮館の殺人』は、吊り天井の仕掛けがメインとなっている稀な作例であり、阿津川が意図したかどうかは別として、そこに『乱れからくり』の「和」の要素へのオマージュが存在してはいなかっただろうか。なお、『乱れからくり』の現行の創元推理文庫新装版の解説は阿津川が執筆している。
『探偵〈スルース〉』→『斜め屋敷の犯罪』→『硝子の塔の殺人』というラインが「洋」のテイストを継承したとすれば、『探偵〈スルース〉』→『乱れからくり』→『紅蓮館の殺人』というラインでは「和」のテイストが継承されたのではないか……というのが、私がこれらの作品から受けた印象である。
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