巨大AI企業が推し進めるフォワード・デプロイド・エンジニア(FDE)という施策。走りとなったのがパランティアだ(画像/Adobe Stock)もし、あなたの会社に突然、AIエンジニアがやってきて「あなたの仕事を手伝います」と言ってきたら、どう思うでしょうか。便利だから頼もしく思うでしょうか。しかし、その目的は、あなたの仕事を楽にするためではなく「AIにその仕事を覚えさせる」かもしれません。
そんな話が、絵空事ではなくなってきました。
ぼくはシアトルのテック企業でPMとして働いています。AIツールが次々と社内に導入されるたびに、同じ嘆きを聞いてきました。「デモでは完璧に動くのに、本番では全然うまくいかない」と。AIは賢い。でも、うちの会社の仕事の複雑さには、まだついてこられない。そういう安心感が、どこかにあったのだと思います。
ところが今年5月、ぼくのその安心感を根底から揺さぶるニュースが飛び込んできました。
◆■示し合わせたように動いた、2つのAI企業
4月、シリコンバレーではちょっと異様なことが起きました。OpenAIとAnthropicが、示し合わせたようなタイミングでほぼ同じ内容の発表をしたのです。
Anthropicは、世界最大の資産運用会社・ブラックストーンやゴールドマンサックスなどを出資者として、総額15億ドルの合弁会社を設立すると発表しました。OpenAIも同じころ、19社のパートナーと組んで40億ドルを調達した新会社「DeployCo」の設立を発表しています。
2社がこれほど似た動きをしたのは偶然ではないはずです。両社ともに近い将来のIPO(株式公開)を視野に入れており、大企業向けの収益を市場に示す必要があった。競合の動きを察知した双方が、ほぼ同じタイミングで踏み切ったというのが、業界内での見立てです。
両社がやろうとしていることは、シンプルに言えばこうです。自社のAIエンジニアを、大企業の内部に直接送り込む。
これには「フォワード・デプロイド・エンジニア(FDE)」という名前があります。直訳すれば「前線配備エンジニア」。このやり方を最初に武器にしたのが、米データ解析企業のパランティアです。
◆■パランティアが本当に売っていたもの
軍や政府向けの”特殊な会社”というイメージが強いパランティアですが、実は彼らが本当に売っていたのはAIでもソフトウェアでもありませんでした。「顧客の会社の中に入り込む権利」です。
パランティアは2020年の上場後にいったん株価が大きく落ちましたが、その後の5年間で640%のリターンを叩き出しました。その原動力は最新技術でも画期的な製品でもなく、「エンジニアを企業の中に送り込む」というモデルでした。OpenAIとAnthropicは今、それをそのまま真似しようとしています。
では、そもそもなぜエンジニアをわざわざ企業の中に送り込む必要があるのでしょうか。それは、AIのツールやシステムを会社に導入しようとすると、必ずと言っていいほど同じ壁にぶつかるからです。デモ環境では驚くほど賢く動くAIが、いざ社内の実務に繋いでみると、まともに動かない。
理由はシンプルです。会社の内部というのは、外からはほとんど見えない複雑さに満ちているからです。誰も文書化していない業務の手順、10年前から「なんとなく」続いてきた確認作業、ベテラン社員の頭の中にしか存在しない例外対応のルール。こういった「組織の地層」は、外部から仕様書を読んでいるだけでは永遠にたどり着けません。
だからFDEは、企業の中に入って、実際にコードを書きながら、その会社固有の業務の複雑さを内側から解きほぐしていきます。アドバイスをして帰るコンサルタントとは、本質的に違います。彼らは「作る人間」として、クライアントのオフィスに腰を据えるのです。
シアトルの職場でも、このFDEモデルへの関心は急速に高まっています。OpenAIやAnthropicのFDEポジションは現在、年収換算で3500万〜5500万円程度が相場とされており、テック業界の中でも最もホットなポジションのひとつです。「AIモデルを作れる人」よりも「AIを企業の中で実際に動かせる人」のほうが、今や希少で高く評価される時代になってきました。
◆■コンサル業への参入ではなく、その先にあるもの
多くのメディアは今回の動きを「OpenAIとAnthropicがアクセンチュアやマッキンゼーのようなコンサル業に参入した」と報じています。それは間違いではありません。でも、それだけで見ていると、本当に重要なことを見逃すとぼくは思っています。
FDEはいわば、あなたの仕事を丁寧に習いに来た弟子のようなものです。ただし、その弟子は人間ではなく、学んだことをそのままAIに渡す役割を持っています。
銀行の融資審査が実際にどういう判断ステップで進んでいるか。病院の薬の確認フローがどこで詰まるか。保険会社の査定で、人間がどの判断を絶対に手放したくないと思っているか。こういった「業界ごとの仕事のやり方」は、FDEが内側に入ることで初めて体系的に把握されます。そしてその情報は、次世代のAIに渡っていく可能性が高い。そうぼくは睨んでいます。
◆■AIエージェントこそが、次の主戦場
今、AI大手各社が最も力を入れているのが「AIエージェント」です。単に質問に答えるだけでなく、メールを送り、システムを検索し、承認を取り付け、複数の作業を自律的に繋げてこなすAIのことです。
ただ、AIエージェントを「本当に使えるもの」にするには、その企業・その業界特有の仕事の流れを深く理解していなければなりません。どの順番で、誰が、何を確認して、どんな例外が起きたときにどう対処するか。そういった知識は外からは見えない。AIがどれだけ賢くなっても、会社の内側に入らなければ手に入らないものがあります。
だからこそ、FDEが必要になります。現場に入り込み、仕事のやり方を把握し、それをAIエージェントに渡していく。その役割を担う人材と組織をいち早く大企業に根付かせた者が、次世代のAI覇権を握る。今回、OpenAIとAnthropicが数千億円規模の投資を動かしたのも、このAIエージェントの本格化を見越した未来を見据えていたのではないかと思います。
◆■「複雑な仕事は人間にしかできない」という安心感の賞味期限
ここで改めて考えてみてください。あなたが職場で積み上げてきた経験の中で、いちばん価値があるものは何でしょうか。特定のプロジェクトの知識、関係者の動かし方、判断の順番——誰かに教えようとすると意外と言葉にならない、でも自分の中では当たり前になっているもの。そういうものが、おそらくどんな会社にも存在しています。
FDEが集めているのは、まさにそういう「仕事の暗黙知」です。言葉にされていないから守られていた。でもFDEが内側に入り込むことで、その複雑さが初めて整理され、言葉になる。言葉になった瞬間、それはAIが学べる形になります。
つまりFDEとは、あなたの仕事のやり方をAIの教科書にする役割を担っているとも言えます。そしてその教科書をもとに育ったAIエージェントが、次にあなたの仕事そのものを担い始める。
今回のOpenAIとAnthropicの動きは、「AIが単純作業を代替する時代」の話ではなく、承認フローや調整業務、審査判断といったホワイトカラーの仕事を、本気で、組織ぐるみで奪いにくる時代の幕開けを告げているのかもしれません。
あなたが10年かけて覚えたその仕事の勘所が、ある日から会社の資産ではなく、AIの学習データになっていたとしたら。そのときあなたは笑うことができるのか。これからの時代が証明していくことになるでしょう。<文/福原たまねぎ>
【福原たまねぎ】
シアトル在住。外資系IT米国本社のシニアPM。ワシントン大学MBAメンター(キャリア・アドバイザー)。大学卒業後にベンチャー企業を経て2016年に外資系IT企業の日本支社に入社。2022年にアメリカ本社に転籍し現職。noteでは仕事術やキャリア論など記事を多数発表。発著書『世界の一流が休むためにやっていること』(朝日新聞出版)が発売中。X:@fukutamanegi