
【写真】映画『BAUS 映画から船出した映画館』で活弁士役に挑んだ銀杏BOYZ・峯田和伸 ナチュラルな撮りおろしカットギャラリー
■活弁、三味線、青森弁に挑戦! 峯田が役作りに奮闘
――本作は、故・青山真治監督の脚本を、バンド・Bialystocksとして音楽活動もされている監督の甫木元空(ほきもと・そら)監督が引き継いで作られた作品ですが、脚本を読んでみていかがでしたか?
峯田:僕は青山監督から出演のオファーを受けていたんです。でも、その段階では映画の台本は見ていなくて、青山監督が亡くなられて、そこから映画の進行も少し止まっていたんですが、甫木元監督が受け継ぐことになって決定稿の脚本をもらって読みました。読んだ時は、記録映画のようでいて、虚実が入り混じったファンタジーみたいな気がしましたね。
――脚本を読んで、演じるハジメについてどう捉えていましたか?
峯田:ハジメは新しいもの好きで、ハイカラで、実験精神もある人物。やったことがないことも「やっちゃえ! やっちゃえ!」みたいな、そういう新しいことをやっていこうという側面もありつつ、ちょっとした胡散くささもある、“東北のおっちゃん”のいかがわしさみたいなものが出せればいいなと思っていました。聖人君子じゃなくて、かわいげがあるだけじゃなくて、毎晩酒を飲んでちょっと金稼いで…みたいな。
――ハジメは青森県から上京する活弁士(※活動写真弁士=無声映画の上映中に登場人物のセリフをしゃべったり、物語を説明したりする人)という役どころですが、演じるにあたってどんな役作りをされましたか?
峯田:今回は撮影前にいろいろ準備しました。活弁や三味線はやったことがなく、昔の歌を覚える必要もありました。なかでも、早口で独特の節回しでしゃべる活弁をやるのは大変でしたね。声の出し方が違いますし…。実際に活弁士をされている方に先生としてついてもらって、厳しい言葉をかけられながらも、2週間ほどしっかりと練習して撮影に臨みました。それと、青森弁の方言指導もしてもらったんですが、難しかったですね。僕は地元が山形なんですけど、青森弁のセリフも山形の訛りの感じで大丈夫だろうと思っていたら全然違いましたね。
――映画の序盤では登場人物が歌うシーンも多かったと思いますが、歌唱シーンで意識されたことは?
峯田:ちゃんと、音程が合うかなと思っていました。アカペラで歌うので、当時と現代の歌い方とはちょっと違いますし、節回しが必要な歌ばかりなので、そういう歌をちゃんと歌いたいなと思って練習しました。
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峯田:染谷さんとは初対面だったので、「よろしくお願いします」から始まりました。撮影中に普通に会話はしていましたが、兄役だから兄貴っぽくしようというのは全くなかったです。脚本にすべて設計図が書いてあるので、何回も何回も読んで、それを頼りにちゃんとやればうまく映るんじゃないかなと思って演じていました。
――映画の中でのサネオとハジメのやりとりも印象深かったです。
峯田:ハジメが「いまいくら持ってる?」って聞いてサネオが「2円ちょっと」という返すやりとりは、映画のなかでも2人の関係性が出ている象徴的なシーンですよね。それと、ハジメの口癖でよく出てくる「あした」という言葉。その「いま」「あした」という言葉は、自分にとって大きかったような気がしますね。
■峯田「映画館がその時代、その時代に生きていた人間のように見えた」
――撮影現場の雰囲気はいかがでしたか?
峯田:甫木元組に初めて参加したんですけど、若いスタッフも多くて、みんな気持ちがいい。変にギスギスした感じもなく、みんな作品を作るってことに一生懸命で、しかもそれを楽しんいて、すごくいい現場でした。やりやすかったです。
――監督とのやりとりで印象深いことは?
峯田:監督も僕も音楽やっているので、その意味ですごくやりやすい部分はありました。音楽的な感性っていうか、あまり言葉を多く使わなくても「このシーンはこういう感じだよね」と理解できた部分はありました。
――これまで数々の映像作品に出演されていますが、峯田さんはお芝居をする楽しさをどういうところに感じていらっしゃいますか?
峯田:普段は音楽でバンドマンとして活動をしていて、ずっと自分たちで、インディペンデントでやっているので、全責任は自分にあり、プロデューサーという立場なんです。でも、映画や演劇は監督に責任を預けられるのでそういう部分で楽ですし、預けることの楽しさもあります。
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峯田:あります。スタッフさんや役者さんもみんな、変な言い合いもなく、馴れ合いもなく、一つの作品をちゃんと作ろうという姿勢で動いている現場を見ると、音楽の現場で自分もちゃんとやらなくちゃいけないなと毎回思います。今回は、本当に『BAUS』の現場で刺激を受けました。「ちゃんとやろう」「もうちょっと自分のバンドの中でもこういう空気を作った方がいいんだな」ということを感じましたね。
――たくさんの準備をし、現場で刺激を受けた本作の完成をご覧になっていかがでしたか?
峯田:サネオやハジメも含めたくさんの人々がこの映画に出てきますけど、僕はこの映画の主人公は“映画館”だという感じがしました。映画館が寿命を終えるまでの、映画館がその時代、その時代に生きていた人間のように見えて面白かったです。
――サネオやハジメ、サネオの子どもたちが歌う描写も印象的でした。
峯田:戦争が終わって映画館の従業員たちが食卓を囲んで子どもたちが「早春賦」を歌うシーンに僕は出ていないですけど、僕もあのシーンは観てすごいなと思いました。「早春賦」という曲はもちろん知っていましたけど、戦争が終わっていろいろなことがあって、映画館のスタッフと家族と一緒にご飯を食べる食卓の席で歌われたあの歌が、それまで知っていた「早春賦」の響き方と全く違って聞こえて、「ああいう昔からある日本の歌もすごいなぁ、なるほどなぁ」と思いましたね。
■峯田が思う“映画館”で観る楽しさ、自身の「あした」とは?
――峯田さん自身、本作で描かれる「吉祥寺バウスシアター」に足を運ばれていたとうかがいましたが、吉祥寺バウスシアターにどんな思い出がありますか?
峯田:バウスシアターがあった頃、吉祥寺に当時付き合ってた彼女がいて、バンドのメンバーも住んでいて、よく行ってたんです。吉祥寺で会うとみんな映画が好きなんで、大体、映画に行こうってなるんですよね。彼女と一緒に映画を観たのは、もう20年前ですけど覚えています。この映画観たな、彼女とこんなこと言ったな、自分が出演した映画を上映させてもらった時もお客さんとして観に行ったな…とか。
――本作は“映画館”にまつわる物語が描かれた作品ですが、峯田さんが思う“映画館”に行く楽しさとは?
峯田:作品を観るだけだったら別に家でテレビやスマホとかでも観られるけど、映画館で作品を観ることに何を求めてるかというと、やっぱり作品の内容だけじゃないんですよね。真っ暗になる空間に2時間ぐらい閉じ込められて、その空間で携帯の電源も切らなくちゃいけないという閉ざされた中で作品と向き合わざるを得なくて、しかも名前も顔も知らない人たちと同時にその空間を共有する。「このシーンで笑い声が起きるんだ」「ここで泣いたりするのか」「この人も泣いてるな」とか…そういうことを感じながら見るというのは、体験としても面白いと思うんですよね。家で誰の干渉も受けずにただ一人でのんびり映画を見るのも映画体験だと思いますけど、映画館ならではの体験というのは、やっぱり自分は一人ではないってことなんじゃないかな。いろいろ人がいて、同じ映画を見ても感想も観るポイントも違うということを感じながら観ることが、僕はすごく好きなんですよね。映画館に閉じ込められた後に日常に放り出されて、そこでちょっと違う自分になれたような錯覚というか、その感じも好きですね。
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峯田:映画館が主人公であるこの作品を映画館で観ることが面白いと思うので、ぜひ足を運んでいただきたいですね。そうすると錯覚してくると思うんです。映画を観ている自分を誰かが観ているような感覚になるというか…。映画館で自分が映ってる感覚になるような、記録映画でもありながらファンタジーな映画だと思うので、映画館に足を運んで観に来てくださったらうれしいです。
――今回の作品が峯田さんの今後の音楽活動にもいい刺激となって、映画でも印象的だった「あした」という言葉にもつながる気がします。これからの活動での峯田さんの展望は?
峯田:いい曲を作って、いいライブをやるってだけです。それしかない。それは18歳の頃から変わってない。それが僕の「あした」かもしれないですね。
(取材・文:齊藤恵 写真:高野広美)
映画『BAUS 映画から船出した映画館』は、3月21日公開。