山梨県の富士河口湖町生涯学習館で展示されている寄贈された写真の一部=4月23日、同町 オウム真理教の全国最大規模の拠点だった山梨県旧上九一色村(現富士河口湖町)で、教団の進出当初から対峙(たいじ)した住民男性が3月、撮りためた記録写真約1400枚を同町に寄贈した。「忘れないでほしい」。写真の一部は今月末まで、同町生涯学習館で展示されている。
オウム真理教は1989年に旧上九一色村の富士ケ嶺地区に進出。「サティアン」と呼ばれる施設を次々と建設し、東京都心の地下鉄で散布し、死者14人、負傷者6000人以上を出した猛毒サリンも一部施設内で製造した。95年5月16日、当時の教団代表松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚=2018年執行=が逮捕されたことなどを経て、96年に教団は村から撤退した。
写真を寄贈した竹内精一さん(97)によると、教団の進出当初、高さ3メートルほどの塀が牧草地を囲むように建てられ、その内部で施設の建設が始まった。地元住民でつくる対策委員会の主要メンバーだった竹内さんは、トラブルが起きるたびに教団に抗議したが、毎回証拠を求められたため、カメラを持ち歩いて撮影するようになったという。
松本元死刑囚から直接「村民を扇動して反オウムに駆り立てている」と言われたり、電話から盗聴器が見つかったりしたこともあった。それでもカメラを手放さず、教団施設が取り壊された98年までに撮りためた写真は約1400枚に上った。
サリンを製造していた「第7サティアン」の窓から漏れる異臭のする白煙や、施設付近で変色した植物も写真に収めた。警察からの要請で、村内で起きた交通事故を撮影した写真を提供したところ、写っていたトラックが、後に松本サリン事件で使用されたトラックと同一のものと判明したこともあったという。
これまで写真は、警察や公安調査庁などに協力する際に提供してきたが、教団が撤退してから30年近くが経過。竹内さんは「こういうことがあったということを忘れないでほしい。多くの人に見てもらいたい」と思い、寄贈することを決めた。
町は先月18日から同町生涯学習館で、教団施設を写したものを中心に約130枚展示している。今後の写真の活用方法については、引き続き検討中という。

オウム真理教の施設などの写真を寄贈した竹内精一さん=4月30日、山梨県富士河口湖町