今や対面決済の半分が「タッチ」に――iD・QUICPayが撤退し、Visaが独走するワケ

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2025年06月17日 08:20  ITmedia ビジネスオンライン

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QUICPayは2025年で20周年を迎える。しかし、カード発行各社の撤退が相次いでいる

 わずか4年で決済の風景が一変した。東京オリンピックを契機に、世界標準であるタッチ決済をVisaが日本で強力に推進し始めてから、非接触決済手段は大きく切り替わった。Visaの対面決済におけるタッチ決済比率は13%から45%へ、そして2025年3月には52%へと急上昇している。発行カード数は1億5000万枚に達した。


【画像】日本でのタッチ決済比率について「90%台後半を目指したい」と話すVisaワールドワイド・ジャパンのシータン・キトニー社長


 その一方で、長らく日本の非接触決済を支えてきたiDやQUICPayからは撤退する企業が相次いでいる。SBI新生銀行グループの中堅クレジットカード・信販会社アプラス(大阪市)は、2024年7月末でQUICPayサービスを完全終了。三井住友カードは2025年7月以降の新カードからiD機能を削除する方針を打ち出した。ゆうちょ銀行も新規発行でのiD搭載を順次終了している。


 Visaワールドワイド・ジャパンのシータン・キトニー社長は6月のメディアブリーフィングで「個人的には近い将来、日本で90%台後半を目指したい」と野心的な目標を語った。タッチ決済の爆発的普及と従来技術の退場が同時進行する中、日本の非接触決済インフラはどこに向かうのか。


●爆発的成長を見せるタッチ決済


 Visaタッチ決済の普及スピードは、業界関係者の予想を大幅に上回っている。キトニー社長は「これは前例のないペースでの採用だ」と語気を強める。


 業種別の成長率がその勢いを物語る。2023年第2四半期と2025年の同時期を比較すると、コンビニエンスストアでの非接触決済は2.8倍、レストランでは5.5倍、ドラッグストアでは7.7倍、スーパーマーケットでは3.2倍へと伸びた。当初はコンビニなど小口決済を皮切りに普及が始まったが、徐々に高額決済にも浸透している。


 従来のクレジットカード決済に比べて利便性の差は明らかだ。ICチップ読み取りによる決済は暗証番号の入力を求められることが多いが、タッチ決済ならそれもいらない。「センターと通信しています」といった待ち時間も必要ないため、圧倒的にスピーディである。キトニー社長は「非接触決済が消費者の日常に完全に定着したことが数値に現れている」と分析する。


 タッチ決済の成長ポテンシャルが証明されたのが、Visaの大阪エリアプロモーションプロジェクトだろう。2024年4月の開始から8カ月で、地域限定の集中投資がいかに劇的な効果を生むかを実証した。


 大阪でのアクティブカードは全国平均の103%を上回る109%の成長を記録し、モバイル決済に至っては167%と全国の146%を大幅に凌駕(りょうが)した。消費者の反応も上々だ。商業施設でのプロモーション参加を支援するVisaオファーズエクスチェンジの登録は、3月の25万件から5月には55万件へと倍増。複数キャンペーンに参加したカード会員は支出を17%増やし、月間で非接触取引を行うアカウントは300万を突破した。


 キトニー社長は「的を絞ったプロモーションが、消費者のシームレスな決済体験への渇望を呼び覚ました」と手応えを語る。プロジェクトは大阪市内から堺、泉佐野、岸和田、阪南など周辺地域にも拡大し、約140店舗が参加している。


●相次ぐiD/QUICPay撤退の連鎖


 他方、タッチ決済の勢いとは対照的に、日本独自の非接触決済技術は苦境に立たされている。


 iDはNTTドコモが運営し、260万台以上の決済端末に対応する巨大なエコシステムを築き上げていた。QUICPayはJCBが展開し、全国300万カ所以上の場所で利用できる。いずれも日本で開発されたFeliCa技術を基盤とし、Suicaと並び国内で広く普及してきた非接触決済方式だ。


 多くのプラスチックカードで標準装備され、モバイル決済でも主流だった。2021年5月にiPhoneでタッチ決済が使えるようになるまで、カードを登録するとiDやQUICPayがセットされる仕組みが当たり前だったのだ。


 その牙城が今、崩れつつある。冒頭でも触れたように、アプラスは2024年7月31日でQUICPayサービスを完全終了。ファンケル提携のJCBカード、クレディセゾン系の日専連カードも2025年前半での廃止を決めた。ゆうちょ銀行は7月から新規カードでiDの搭載を終了する。


 衝撃的だったのは三井住友カードの決断だ。同社は2025年7月以降、新規発行・更新カードからiD機能を順次削除する。カード業界大手の判断は、業界全体の方向性を決定づけた。三井住友カード広報部は「お客さまの決済方法がスマホ決済に移行する傾向を受けた」と説明するが、iD搭載を止める一方で全カードをタッチ決済に対応させており、タッチ決済推しの姿勢が推察される


 iDの運営元であるNTTドコモは「引き続きニーズは高い」と反発するものの、新機能発表が1年以上途絶えるなど、サービス拡大の兆しは見えない。そもそもドコモが発行するdカードは、これまで券面に「iDマーク」を付けてiDが使えることをアピールしてきた。ところが、2024年11月に登場した「dカード PLATINUM」、2025年2月に登場した「dカード GOLD U」では、タッチ決済マークは付いているもののiDマークは消えた。


 決済アプリ分野でも、KyashがQUICPayを完全終了してVisaタッチ決済に一本化するなど、代替への移行が鮮明になっている。


●標準で負けた日本の決済


 重要なのは、iDやQUICPayが技術的に劣っていたわけではないことだ。むしろ実用性では、現在のタッチ決済を上回る面が多かった。


 ユーザーにとっての使い勝手も、必ずしもタッチ決済のほうが優れているわけではない。iDやQUICPayなら「iDで」「QUICPayで」と明確に伝えられ、決済端末のロゴを見れば、対応しているかどうかも一目瞭然だ。一方、タッチ決済は混乱状態だ。いまだに「クレジットで」「Visaで」「タッチで」「カードで」と表現が統一されず、店員も戸惑う。タッチ決済マークがあっても使えない端末も珍しくない。


 技術仕様でも、FeliCaは処理速度と通信安定性に優れ、日本の商習慣に最適化されていた。


 それでもタッチ決済の追い上げを許したのは、グローバル化という巨大な潮流があったからだ。インバウンド需要の拡大で、外国人がそのまま使える決済手段の重要性が増した。Visa/Mastercardのタッチ決済なら海外発行カードでも利用できるが、iDやQUICPayは日本専用だった。


 カード会社にとっても、複数決済方式の併存より世界共通仕様への統一の方が運用コストを削減できる。技術の優劣ではなく、グローバル化への適応力の差が勝敗を分けた。


●Visa社長が語る「90%台後半」への道筋


 キトニー社長の野心は現在の52%にとどまらない。「個人的には、そう遠くない将来に日本で90%台後半を目指したい」。


 この目標は根拠のない願望ではない。「世界中の市場で、非接触取引の普及率が90%台後半になっているのを見てきた」からだ。約40ポイントの上積みが必要だが、「非接触導入のスピードは月ごとに加速し続けている」(キトニー社長)。


 課題はインフラ整備と消費者意識だ。「全ての加盟店が非接触決済を受け入れられるようにする必要がある」とキトニー社長。決済方法の呼び方統一や、マークがあっても使えない端末の解消も急務だ。


 では、iDやQUICPayはどうなるのか。


 多くのプラスチックカードからは早晩消えそうだ。各社の発表に「共存」の文字はなく、「新規発行停止→既存カード期限切れ→完全消滅」の道筋が見えている。多くのカードで2025年から2026年が転換点になりそうだ。


 ただしモバイル決済では当面残りそうだ。ドコモは「ANA PayやDeNA Payはモバイルのみで展開」と説明し、Apple PayやGoogle Payでも利用可能だ。


 しかし、ユーザーがあえてiD/QUICPayを選ぶ理由は薄い。国際的に通用し、より多くの場面で使えるタッチ決済の方が便利だからだ。今はまだタッチ決済非対応でiDやQUICPayしか使えない店舗があるため意味があるが、早晩その状況も変わるだろう。


●次なる岐路に立つSuica搭載クレカ


 iDやQUICPayは、日本発の先進技術がガラパゴス化した典型例となるかもしれない。


 技術的に劣っていたわけではない。店頭コミュニケーションの明確さ、処理速度の速さ、通信の安定性――実用面では優秀だった。Suicaと並ぶ普及を誇り、巨大なエコシステムを築いてもいた。


 それでも、わずか4年で形勢は逆転した。グローバル化という大波の前で、いかに優秀でも日本の固有技術は「ガラパゴス」と化し、国際標準の「圧倒的な力」に屈した。


 そして今、同様の選択を迫られているのがSuica機能付きクレジットカードだ。現在、Suica搭載クレジットカードの多くはタッチ決済に対応していない。これは必ずしも技術的な制約ではなく、JR東日本などの戦略的判断と思われる。


 しかし、タッチ決済の普及が進めば、対応していないカードは競争上の弱点となる。ユーザーは「Suicaをとるか、タッチ決済をとるか」という選択を迫られることになるからだ。


 インバウンド対応、事業戦略のグローバル化、運用コスト効率化――こうした要因が重なり、カード会社は国際標準への収束を選んだ。52%から90%台後半への道のりは、日本の決済インフラが完全に国際標準に組み込まれることを意味する。


 それは利便性向上をもたらす一方で、日本独自の技術革新が世界に広がる機会の喪失でもある。技術の優劣ではなく「標準」が勝利した現実は、グローバル時代の日本の技術戦略に重要な教訓を刻んでいる。


筆者:斎藤健二



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