連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第92話
新型コロナパンデミックも収まらない中での、エムポックスウイルスの流行拡大。G2P-Japanも研究に着手するべく、ウイルスの入手に奔走する。
※前編はこちらから
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■2022年6月20日、「エムポックスプロジェクト」発進
2022年5月6日、イギリスで、エムポックスウイルスの感染例が報告された。その後も、ヨーロッパのいくつかの国々やアメリカ、オーストラリアなどでも、感染例が相次いで報告されるようになる。脱アフリカによる、複数の先進国でのアウトブレイクである。
6月20日、このような事態を受けて、私のラボでも「エムポックスプロジェクト」を立ち上げる。この緊急プロジェクトを具体化するために、私のラボから、「三種病原体等所持届出書」という書類が、厚生労働省に提出された。
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■トリビア:混同しやすい「病原体」と「感染症」の分類
――と、話はすこし脱線するが、ウイルスや感染症についてのトリビア(雑学)を紹介することも、この連載コラムに期待されることのひとつかと思うので、これを良い機会に、「病原体」と「感染症」の分類について概説してみたい。
まず、人に病気を起こす特定の病原体は、本邦においては「感染症法」によって分類され、その危険度によって「一種」から「四種」までに分類される。いちばんヤバい病原体が「一種」で、エボラウイルスなどがここに分類されている。
重症急性呼吸器症候群(SARS)ウイルスが「二種」、そして、中東呼吸器症候群(MERS)ウイルスや、今回の主題であるエムポックスウイルスが「三種」に分類される。ちなみに、新型コロナウイルスは「四種」に分類されている。なお、風邪の原因ウイルスなどのように、危険度がさほど高くない病原体、つまり、「特定」ではない病原体は、このカテゴリーでは分類されない。
それに対し、「感染症」、つまり「病気」も、やはり「感染症法」に基づいて分類される。たとえば、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、2023年5月8日に「2類(相当)」から「5類」に移行された。よく勘違いされるのだが、この「類」による分類は、「感染症・病気」の分類である。一方、「種」で分類されているのは「病原体」であり、これらの分類はそれぞれまったく別のものなのである。
さらにややこしさを重ねると、「感染症法」による分類は、「人」の病原体の分類である。それに対し、口蹄疫やアフリカ豚熱、鳥インフルエンザというのは、原則的に、家畜などの動物だけで見られる深刻な感染症である。これらのような「動物」の感染症、およびその原因病原体は、「感染症法」とはまた別の「家畜伝染病予防法(通称『家伝法』)」という法律の対象となり、こちらは農林水産省マターとなる(それに対し、「感染症法」による「人」の病原体や感染症の分類は、言うまでもなく厚生労働省マター)。
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■エムポックスウイルスを入手する!
閑話休題。
さて、「三種病原体」に分類されるウイルスを入手するためには、あらかじめ、厚生労働省にその所持の届出を申請しなければならない。これからの感染拡大、そして、日本への侵入可能性を見すえて、この時点で私たちは、新型コロナ研究のかたわらで実は、エムポックスウイルスの所持の準備を始めていたのである。
そのような書類の手続きとは別に、脱アフリカして先進諸国でアウトブレイクを起こしているエムポックスウイルスを、実際に入手するためのルートも画策し始めた。新型コロナ変異株ももちろんそうだったが、出現したばかりの病原体について、「それください」「はいどうぞ」などというパイプラインはそもそも存在しないのである。
当時、日本国内ではまだ、エムポックスウイルスの感染例は報告されていなかった。これはつまり、脱アフリカして先進諸国でアウトブレイクしているエムポックスウイルスは、日本国内にはまだ存在していないことを意味する。そこで、すでに感染が報告されている、イギリスやフランスの研究者の知り合いに、ウイルスを入手できないか訊いてみた。
しかし、私と同様、イギリスやフランスの知人や友人たちも、エムポックスウイルスの専門家ではなかった。あまり芳しい回答は得られなかったのだが、何人かの知人から、「European Virus Archive (EVAg)」というヨーロッパのバイオバンクがあること、そこには、アウトブレイクを起こしたエムポックスウイルスが登録されていること、そして、そこにアカウント登録すれば、有償ではあるがウイルスを入手できる、ということを知る。
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7月8日、私はさっそくEVAgにアカウント登録し、ウイルスの提供を依頼した。
7月15日、タイミングの良いことに、厚生労働省に申請していた、「三種病原体」の所持届出が承認される。これで、エムポックスウイルスを入手・所持することが法的に可能になった。こうなればあとは、首尾よくウイルスさえ入手できれば研究開始、である。
そして、7月23日。世界保健機関(WHO)がついに、エムポックスの「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」を発出。
そう、「新型コロナパンデミック」も収まりきらない中での、「エムポックスパンデミック」の始まりである。
※2月10日配信の後編に続く
文/佐藤 佳 イラスト/PIXTA