『月射病 (シムノン ロマン・デュール選集)』ジョルジュ・シムノン 悶えるシムノン。苦しむシムノン。
ジョルジュ・シムノンには大人の作家というイメージがあるのではないか。それはもちろん、あの魅力的なメグレ・シリーズによって形成されたものである。だがシムノンが書く人間はもっと泥臭いし、現実の人間がそうであるように不完全である。悶々とした日々を送っている人を好んで描いた作家だった、というのが私の印象だ。シムノン作品を読み始めて懊悩の言葉が出てくると、ああ、これだよな、と思うし、後悔と共に物語が幕を下ろすと、そうなるよね、と納得する。いつも人生はぐじぐじしていて、あまりすっきりしない。
『月射病』は、シムノンの作家人生初期にあたる1933年に発表された長篇だ。1930年からメグレ・シリーズを書き始め人気作家となった。1933年には連作の発表が途絶え、1930年代末に復活するまで空白期間がある。シリーズものの警察小説を書くことに飽き足らず、一般小説に軸足を移そうとしていた時期だ。『月射病』もそうして書かれた作品で、巻末の瀬名解説によれば、1932年夏にシムノンは念願のアフリカ旅行に出かけている。
主人公のジョゼフ・ティマールは、県議である伯父から支援を受け、新天地で一旗揚げようとガボンのリーブルヴィルへやってくる。伯父は有力者だが、その弟である父親は薄給の役人であり、学費が払えなくなったためにジョゼフは大学も中退しなければならなかった。これは好機なのである。23歳、青雲の志に燃えている。
いきなりつまずく。リーブルヴィルでただ一軒のホテル、サントラルに投宿して一夜明けた朝のことだ。目を覚ますとベッドのかたわらにホテルオーナーのマダムが立っていた。黒い絹のドレスをまとった女性は、その下に何も着けていないように思えた。ジョゼフは彼女と関係をもってしまうのである。そのあとも頭の中は歳上の女性のことでいっぱいになる。早くリーブルヴィルを出て伯父の経営するサコヴァ商会の人間として内陸の任地に行かなければならないのだが、いつまでもぐずぐずしているのである。彼女の名はアデル。アデルをもう一度振り向かせたくて仕方ない。
その間に、一人の黒人が撃たれて死亡するという事件が起きる。続いて、もう一つの死が訪れた。住血吸虫症に罹患していたアデルの夫・ウジェーヌが死亡したのである。ホテルに二人だけが取り残された後で、ようやくアデルはジョゼフの方を向いてくれる。
こういうお話だ。典型的なファム・ファタル、運命の女の物語で、ジョゼフがアデルのために迷っていくさまが描かれていく。最初に同衾する場面からシムノンはうまくて、心拍数がいきなり上がるような書き方をしている。ちょっと引用してみよう。
----「ほら、ここ、刺されているわ」
彼女はベッドのヘリに腰かけ、(ジョゼフの)裸の胸のすぐ上の辺りを指し、ぴつんと赤くなった部分を指でなぞりながら、ティマールの目をのぞきこんだ。
そんなことがあって、あとはなだれこむように、事に及んだものの、ぎこちなくもつれあうばかりですぐに果て、かなりお粗末なことになった。
「かなりお粗末なことになった」ものだからジョゼフはさらにアデルに執着するわけで、このへんが男の支配欲とか嫉妬心をよく捉えている。ちょっと気のあるそぶりを見せてはすぐに離れていくという繰り返しで、あっという間にジョゼフはアデルの掌中に落としこまれてしまうのである。単に誘惑するだけではなくて「三年で百万フラン稼げる方法があるわ」なんて言い出すものだから、ジョゼフはますます抜き差しならないところにはまり込んでしまう。
黒人の射殺事件があるので、犯罪小説と呼んでもいいだろう。しかし本作のミステリーらしさは、ジョゼフが右も左もわからない異国の地で身勝手な美女にのめりこみ、抜き差しならない状態になってしまうサスペンスにある。途中でジョゼフがアデルと共に舟で旅をする場面がある。彼にとって現地の人々は異世界の住民そのものなので、極度に警戒しており、一挙一動に敵意のこもった視線を注いでいる。そうした視点人物の目に映るアフリカは、脅威の塊でしかないことだろう。そうした環境を都市文明の世界からやってきた人間が見たときの不安が、破滅に向かって突き進みつつある青年の心境と重ね合わされる形で描かれるのである。
自らを狂わせているアデルの魅力にジョゼフの心理は意識下で抗っているものと思われ、その葛藤がときどき表出してくる。とにかくアデルは何も教えてくれないので、五里霧中の状態でジョゼフは引きまわされるのである。その彼が、一つの結論に達したときに物語は終わる。語らないこと、読者に知らせないことの効用が十二分に発揮された作品だ。
最後にジョゼフはある言葉を繰り返し口にするのだが、一件を通じて彼が成長したようには到底見えない。心のどこかが壊れてしまったようにも見えるし、何かから逃げ出そうとしている者の、負け犬の遠吠えにも感じられる。それとは語られないが、これは後悔の場面だろう。しっかりとした大人でいられなかったことへの後悔の念である。前に進めていた人間なら、こういうことは口にしない。
このあとシムノンはいくつもファム・ファタルの物語を書くことになる。邦訳があるものでいえば、『可愛い悪魔』(ハヤカワ・ミステリ)などもそうだ。中年男がコケティッシュな年下の娘と出会ってしまったために間違った道に入っていってしまう物語である。映画化作品ではブリジット・バルドーがその娘を、彼女に入れ込んでしまう中年男をジャン・ギャバンが演じていた。ずるずるべったりになる男を書かせるとシムノンは溜息が出るほど、うまいのだ。同性にとっては、おそろしいほど正直に本当の姿を映す鏡を見せられているような気分になるのではないだろうか。男ってばか、と異性からは言われそうだ。
(杉江松恋)
『月射病 (シムノン ロマン・デュール選集)』
著者:ジョルジュ・シムノン,瀬名秀明,瀬名秀明,大林薫
出版社:東宣出版
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