ど素人親父が始めた毎日の弁当作りと、初めてのMy弁当箱。shasta『ステンレスランチボックス』

0

2024年07月07日 09:30  マイナビニュース

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

マイナビニュース

画像提供:マイナビニュース
My弁当箱を買った。

ちょっと前からその必要性を感じてはいたものの、そんなに急ぐ案件ではないので、なんとなく意識だけして静かに探していた。

そして、先日たまたま訪れた雑貨屋の店頭で見つけた、オールステンレス製の弁当箱に一目惚れ。即座に入手したのである。

考えてみると、自分専用の弁当箱を買うというのは、生涯で初めての行為だった。


○■“丁寧な暮らし”も悪くないが、違和感があり敬遠した曲げわっぱ



僕が「自分用の弁当箱が欲しいかも」と呟き始めた頃、妻は「じゃあ、“曲げわっぱ”がいいんじゃない」と勧めてきた。

たしかに魅力的な響きだと思いネットで検索したところ、大人の男の使用に耐えうる、感じのいい曲げわっぱがいくつも見つかった。

日本の伝統工芸品である曲げわっぱで弁当を食べたら、それなりの充足感は得られるだろうし、食べ物がおいしく感じるのかもしれない。


でもなんだか、しっくりこなかったのである。

曲げわっぱが醸し出す“いかにもやってます”的な感じが、微妙に疎ましかったといえば伝わるだろうか。

曲げわっぱは、最近の日本にすっかり定着した“丁寧な暮らし”の象徴のようだ。

日常の些事と改めて向き合い、手間や時間をかけてこだわりのある生活を送ることを標榜する、“丁寧な暮らし”というライフスタイルを否定するつもりはない。

部分的には、そういう暮らし方を取り入れているところだってある。

たとえばベランダでプチトマトを栽培したり、窓辺に南部鉄器の風鈴を吊したり……。



でもそれは単なる気まぐれで、僕の本質はまったく雑な人間だ。



食器やキッチン用品をはじめ、生活にまつわる細々したモノはまず百均で探すし、ファストファッションのペラペラな化学繊維の服だってお気に入りだ。

丁寧に暮らしたいという考えも少しはあるけど、コスパがよくデザイン的にも許せるものだったら、別になんだっていいじゃねえかと考える実利的な側面の方が強い。

そんな半端に雑な50代の男が、初めての弁当箱として曲げわっぱを選ぶのは、なんとなく違うような気がしてしまったのだ。



かといってタッパーのような実用本位のプラスティック製弁当箱では、さすがに味気ない。もう少しだけこだわりつつ、曲げわっぱほど丁寧すぎない、ちょうどいい塩梅の弁当箱ってないのかなと思っていたのである。


○■50代半ばで突如、妻とは別居。娘の弁当を作る日々が始まった



ところで間もなく55歳となる僕が、この歳になってどうして急に自分専用の弁当箱を求めるようになったのかだが、端的に言うと、この春から妻と別居しているからだ。

丁寧に説明すると少々長くなるが、良ければお付き合いください。



別居といっても夫婦間のいざこざがあったわけではなく、妻が転職に伴って地方に移り住むことになったためなのだが、我が家にとっては一大変化だった。

この別居に伴い、僕は高校生の娘との二人暮らしとなり、日常の家事のほぼすべてをやらなければならなくなった。



共働き夫婦と娘一人という家族構成の我が家では、これまでも家事は分担していたので、掃除洗濯買い物をはじめとする諸々の家事についての不安はなかった。

だが料理に関しては、これまでほぼ妻に任せきりにしていた。

自分には食に対する知識やセンスがなく、昔から苦手意識があったためだ。



しかし、妻との別居でそうも言っていられなくなり、超初心者の僕はネット上に転がる各種レシピなどを参考にしながら、娘と自分のための食事を日々作るようになった。

しかも春から通い始めた娘の高校は、弁当を持参させなければならない学校。

そのため毎朝6時前には起床し、せっせと娘の弁当を作るという生活になった。



最初は自分にそんなことできるのかという不安があったが、いざ始めてみると、弁当作りはなかなか楽しい仕事だった。

弁当箱という限られたスペースの中に、栄養や味、彩りなどのバランスを考えつつ色々なものを詰め込んでいく作業は新鮮で、なんだかパズルや模型に取り組むような気分だったのだ。

妻や弁当作りの先達からのアドバイスに従い、冷凍食品や出来合いのお惣菜を駆使していることもあって、しっかり計画さえすれば、弁当作りがそれほど大変ではないということもすぐに理解できた。


口の減らないJKの評価は恐ろしいが、我が娘がど素人親父の弁当を「おいしい」と誉めてくれたことも、やる気を増幅させた。

一から作ったものは少ないのが少々後ろめたく、「冷凍食品やスーパーで売ってるお惣菜ばっかだよ」と断ると、「じゃあセレクトのセンスがいいんだ!」と重ねて誉めてくれる。

どうやら父のやる気を損なわないよう、誉めて伸ばす方針をとっているようである。

まだまだ子どもだと思っていたが、娘も成長しているようだ。


○■余ったおかずを無駄にしないためには、自分用の弁当も作るのがいいと気づく



そんなこんなで調子良く毎日の娘のお弁当作りを始めて1ヶ月ほどが経過した頃、あることに気づいた。

一人の弁当に入れるだけでは、用意したおかずが余りがちになるのだ。

弁当のメインのおかずは、1.その朝作ったもの(卵系料理や軽い揚げ物など)、2.前日のスーパーのお惣菜コーナーで買ったもの、3.冷凍食品、4.昨夜の晩ご飯の残り物、この4つを飽きないよう順繰りに入れているが、娘用の小さな弁当箱に入れるだけでは、大体余ってしまう。


フリーの編集者兼ライター/コラムニストを生業とする僕は、自宅で仕事をしているので、娘の弁当に入りきらなかったおかずは、そのまま自分の昼食用のおかずにしていた。

だが、そんな僕も昼間は毎日家にいるわけではなく、取材や打ち合わせ、調べ物などのため出かけることも多い。

そういう日は外で昼食をとるため、娘の弁当の残りの余剰おかずは、結局手付かずで捨ててしまうことも多かった。



これは非常によろしくない。食品ロスという観点と昼食代の節約という観点が交差したのは、朝に娘の弁当を作るのと同時に、自分の昼食用の弁当も作り、外出する際には持っていくという作戦。


そんなわけで入手した、僕専用のオールステンレス製弁当箱は、shastaというメーカーのものだ。

初めて聞くメーカー名だったので調べてみたところ、キャンピングギアやアウトドア用品を製造するアメリカのメーカーのようだ。

容量約760mlで、男の僕にはちょうどいい大きさ。

ステンレス製の弁当箱は匂い移りや色移りが少なく、油汚れもすぐ落ちるのが魅力なのだとか。

何よりシンプルで無骨、どこかクラシカルな雰囲気を漂わせるデザインがおしゃれではないか。

今のところ、このナイスな弁当箱で快適な弁当ライフを送っている。


人間も歳を重ねてくると、そうそう“初めての体験”をできなくなってくる。

一見something newな物事を目の前にしても、大抵の場合は過去のsomething like(〜の類)を思い出し、「あの時はああだったから、まあこんな感じかな」と、経験則基準でやっつけがちになるのである。

誰しもに訪れる人生の円熟期が近いといえば聞こえはいいかもしれないが、こうしてフレッシュさをどんどん失い、ひねたジジイになっていくばかりなのかと思うと、やや寂しくもあり虚しくもある。



だけど、毎日の弁当ライフは僕にとってまったく新しい取り組みだったので、今は少しだけ心が若返ったような気がしている。

皆さんも、お弁当ライフを始めてみてはいかがだろうか。

特に日常の刺激を失いがちな僕と同年代の男性で、今までそんなこと考えもしなかったような人にはおすすめである。


佐藤誠二朗 さとうせいじろう 編集者/ライター、コラムニスト。1969年東京生まれ。雑誌「宝島」「smart」の編集に携わり、2000〜2009年は「smart」編集長。カルチャー、ファッションを中心にしながら、アウトドア、デュアルライフ、時事、エンタメ、旅行、家庭医学に至るまで幅広いジャンルで編集・執筆活動中。著書『ストリート・トラッド〜メンズファッションは温故知新』(集英社 2018)、『日本懐かしスニーカー大全』(辰巳出版 2020)、『オフィシャル・サブカルオヤジ・ハンドブック』(集英社 2021)。ほか編著書多数。新刊『山の家のスローバラード 東京⇆山中湖 行ったり来たりのデュアルライフ』発売。
『山の家のスローバラード 東京⇆山中湖 行ったり来たりのデュアルライフ』はこちら
この著者の記事一覧はこちら(佐藤誠二朗)

    アクセス数ランキング

    一覧へ

    前日のランキングへ

    ニュース設定